★ひとこと 「燃えるツツジの葛城山を通る新緑のダイヤモンドトレール」
ツツジが燃える大和葛城山
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★行った日 2004年5月11日(火) 曇一時晴
単独
★コース
JR高槻5:40=紀見峠(南海)7:11→紀見峠7:53→(450m)山ノ神8:10→8:55(733m)西ノ行者9:00→(763m)タンボ山9:15→(690m)杉尾峠9:27→(715.5m)行者杉峠9:48→大沢塞跡9:56→10:15(792m)神福山10:20→(784m)千早峠10:35→(934.8m)高谷山11:06→(937m)中葛城山11:21→(889m)久留野峠11:29→伏見峠11:55→12:00(1010m)香楠荘前広場12:06→(1112.2m)湧出岳12:24→カヤンボ休憩所13:15→水越峠13:45→14:56(959.2m)大和葛城山15:01→岩橋峠16:28→16:39(658.8m)岩橋山16:44→平石峠17:10→18:05当麻寺駅(近鉄)18:18=JR高槻19:50
昨夜来の雨もあがり、今日は晴れとの天気予報に基づき念願のダイヤモンドトレッキングコースを歩いた。しかし時々太陽がのぞくく程度の見通しの悪い曇がちの空模様だった。今年2月に岩湧山へ行ったときに五ッ辻以西のダイトレを歩いているので、本当は五ッ辻から歩きたかったが交通手段がなかったので紀見峠以東を歩くこととした。できるだけ早い電車で出発して紀見峠駅から二上山まで行きたかったが残念ながら薄暗くなり始めたので平石峠で縦走を中断して當麻町へ下山した。この結果、ダイトレ未歩行部分は五ッ辻〜紀見峠と平石峠〜二上山を残している。
早朝の侘しい紀見峠駅の下り電車から降りた登山客は私と年配のご夫婦だけだったが、ご夫婦は岩湧山の方へ行かれたので一人で紀見峠へ向かって坂道を登っていった。紀見峠への道標が必ずあるので道に迷うことはない。間もなく通勤通学時間帯となり多くの人々が坂道を駅めざして道を下ってくるのに出会った。さぞ疲れて帰って来る帰宅時は大変だろうと思った。紀見峠にも古い集落がありなおさらその観を強くした。紀見峠には西高野街道の一里塚である高野山六里道標石が残っている。ダイトレの金剛山方向は峠から分岐している林道ヤリミズ線へ入る。
(紀見峠駅) (紀見峠への道から橋本方面) (高野山六里道標石)
(旧道の紀見峠) (岩湧山方向のダイトレ入口) (金剛山方向のダイトレ入口)
(山ノ神) (延々と続く丸太階段)
舗装林道を登り山ノ神付近で林道は山道に変わる。この付近にはチゴユリなどが咲いていた。しばらく進み丸太階段を延々と登ると薄暗い林の中の西ノ行者だ。タンボ山、杉尾峠を過ぎ行者杉峠まで行くと広場があり休憩所もある。
登山道から少し離れた神福山には二つの祠が祀られている。この辺りには大沢塞跡があり千早城の砦の役割を果たしていたもので、他にも幾つかの塞跡が900〜1000メートルの尾根の要所に配置されていたらしい。
(高谷山) (中葛城山から五条方面) (中葛城山)
(久留野峠) (久留野峠のお地蔵さん)
高谷山を経て、見晴らしのよい笹原の中葛城山に着く。すぐ近くが久留野峠だ。ここから約30分で伏見峠に着く。紀見峠から約5時間かかっている。ピクニック広場で昼食後、湧出岳を経て鳥居の所で国見岳方向と別れ水越峠へ向かう。
(伏見峠) (香楠荘前のピクニック広場) (湧出岳三角点)
(国見岳方向とダイトレ分岐点) (パノラマ台から大和葛城山) (カヤンボ休憩所の林道出会)
(林道沿いの燃える緑) (水越峠)
途中のパノラマ台からの葛城山の眺めは素晴らしいが、きょうは少し霞んでいた。カヤンボ休憩所からは意外に長い林道歩きだ。金剛水水呑場もあり緑に浸りながら林道を約30分も下ると水越峠の車止めゲートに着く。
(ツツジ1) (ツツジ2) (ツツジ3)
(大和葛城山から金剛山) (大和葛城山三角点)
水越峠から急坂をあえぎあえぎ約1時間登ると満開のツツジに出会える。丁度いまが真っ盛りで沢山の人出だ。葛城山三角点から霞んだ金剛山が見えた。先を急ぐので早々に山頂を後にする。間違ってロープウエー駅の近くまで行ってしまいダイトレ分岐点まで引き返す。
(一本松) (倒木林) (岩橋山)
(南阪奈道路下から平石峠方向)
(旧竹内街道)
葛城山以北の平石峠までのダイトレはただ林間の山道を歩くのみ。余り景色のよいところもなかった。立派な針葉樹林であった所が倒木林に変わり、荒れ果てている所もあった。岩橋山の急な丸太階段を登った段階で午後5時前となり、二上山まで行くのを断念して平石峠から當麻町へ下山することとした。平石峠から1時間で当麻寺駅(近鉄)へ出られる。山裾には南阪奈道路の大きな高架橋があり、途中、竹内街道の旧道を通ったがあまり昔の面影はなくなってしまっていた。これも生活の利便性のためには仕方のないことかもしれない。司馬遼太郎「街道をゆく1」によれば・・・・
・・・その葛城をあおぐ場所は、長尾村の北端であることが望ましい。それも田のあぜから望まれよ。視界の左手に葛城山が大きく脊梁を隆起させ、そのむこうの河内金剛山がわずかに頂上だけを、大和葛城山の稜線の上にのぞかせている。正面の鞍部が竹内峠であり、右手は葛城山の稜線がひくくなって、大舞台の右袖をひきたてさせるように、二上山が、雌岳を左に雄岳を右になだらかに起伏させ、そして大和盆地からみれば夕日はこの山に落ちる。その西日の落ちるあたりに、中世の浄土信仰の一淵叢であった当麻寺があり、ありはするが、その塔堂は露骨ではなく、樹叢にうもれてかすかにうかがえる。・・・・
1970年頃の晩秋の情景だが、自然は変わっていないと思うので一度味わってみたい風景の一つです。
★ルート断面図
★地 図
(2)湧出岳〜大和葛城山 (3)大和葛城山〜当麻寺駅
(1)紀見峠駅〜湧出岳
(参考地図)
・2万5千分の1地形図 岩湧山、五条、御所、大和高田