剱岳(2998m)

 

★ひとこと   「馬場島から急登の早月尾根で剱岳を経て室堂へ」

剱御前小舎から夕日に輝く剱岳

★行った日   2008年7月25日(金)  曇一時晴後雨  単独
          2008年7月26日(土)  曇後一時晴
          2008年7月27日(日)  曇一時晴       

★コース
(第1日)
高槻3:15(名神、北陸道)=立山IC(県道)=8:20馬場島8:33→9:28休憩ベンチ9:33→10:26 1200表示10:34→11:15 1400表示11:26→11:49 1600表示11:59→12:28雨具用意12:51→1800表示12:28→13:28 1920三角点13:33→避難小屋跡14:00→2000表示14:13→早月小屋15:20
(第2日)
早月小屋5:43→2400表示6:32→6:44見晴し尾根6:48→7:29 2600表示7:34→8:53 2800表示9:02→10:11別山尾根出合10:16→10:27(2998m)剱岳10:41→カニの横ばい11:00→避難小屋11:13→平蔵のコル11:24→前剱の門11:56→前剱12:14→前剱大岩12:28→13:03一服剱(雨具装着)13:18→13:47剱山荘14:02→剱御前小舎15:32
(第3日)
剱御前小舎5:21→雷鳥沢6:18→6:23キャンプサイト6:31→7:16みくりが池7:26→7:36室堂ターミナル(バス)8:00=美女平(ケーブル)8:50=立山駅(電車)9:09=上市駅(タクシー)10:00=10:35馬場島10:42(県道)=つるぎ恋月(県道)=立山IC(北陸道、名神)=高槻16:30

(第1日)
 全国的に梅雨が明けたので、かねてより行きたかった馬場島から早月尾根を経て剱岳だ。当初の計画では五色平を経て折立へ下るつもりだったが、日本海に低気圧が居座り台湾付近の台風8号から湿った気流が入り込み北陸地方の気象状況がいまいちだ。高い山はずっと雲に包まれたうえ連日夕立なので、剱岳から別山尾根を経て室堂へエスケープした。立山ICから馬場島の道路標識通りに進み、早月川沿いにさかのぼると右岸から左岸に渡る大橋がある。剱岳の撮影のポイントらしいがきょうは雲がかかって何も見えない。やがて国立公園剱岳の石碑があって大阪から約5時間で馬場島荘前の登山口駐車場到着だ。
 数台の車がとまっている駐車場を後にして舗装道路を進み、大窓や池ノ谷方面へ向う林道を左に分け直進すると剱岳登山口だ。祠と記念碑の間を通り抜けると急坂の登山道の始まりだ。広葉樹の大木が散在する尾根の急坂を登り、標高1000メートルに達するとなだらかになり休憩ベンチもある小広場だ。ここで下ってきた単独行の熟年男性と会い情報を交換、以後早月小屋まで登山者に会わなかった。ここから始まる急坂の尾根筋には京都北山の芦生杉にそっくりな杉大木が茂っていて退屈しない。しかも枯死寸前の木はあまり見かけず筋骨隆々とした精悍な大木杉が尾根道を守っているようだ。標高1600の表示地点から北の視界が開け、大ブナグラ谷の白い筋が見えたが猫又山から伸びてきている稜線は雲の中だ。早月尾根には標高差200メートル毎に立派な金属表示板が設けられている。この辺りで登山道の下草刈りをしている人に逢う。安全に登れるのもこのような人々のお蔭だ。感謝!。標高1800辺りから小灌木帯が増え高山植物が目につきだすと共に、とうとうポツリと来て、傘片手カメラ片手の山歩きになってしまった。P1920の頭がすり減ったような三角点を過ぎてしばらく進むと草原の広場だ。避難小屋跡らしい。池の側を通り抜けると急坂が続く。雨具を着ると暑いので相変わらず傘片手の急坂登りだが、雨が強くなってきてずぶ濡れだ。やっとピークに出るとガスに霞んだ早月小屋が見え、その先に別山尾根と思われる岩稜が霞んでいた。小屋に飛び込みすぐ飲んだ缶ビールは涙が出るほどうまかった。その夜は遅くまで雨が屋根を叩いていた。
 馬場島から小屋まで標準コースタイムは4時間半だが7時間もかかってバテバテ状態でやっと小屋到着だ。寝不足と傘片手の不真面目登山のせいもあるが、基本的には前半の蒸し暑さの中の急登が体力を消耗したようだ。こんな状態では五色まで行くのは無理だと考えながら寝てしまった。


   (馬場島の剱岳表示)         (馬場島荘)            (剱岳登山口)

 (いきなり雑木尾根の急登)   (なだらかな尾根道を行く)     (杉巨木の尾根を急登)

  (アシウ杉の尾根を登る)    (大ブナグラ谷の上は雲の中)    (標高1600メートル)

 (急登に次ぐ急登が続く)     (標高200メートル毎の表示)  (ダケカンバの森も現われる)

    (P1920三角点)       (避難小屋跡の平地)      (避難小屋の先にある池)

  (傘をさしながら岩稜登り)  (早月小屋の手前で大粒の雨)  (翌朝早月小屋を振り返る)

(第2日)
 翌朝、雨は止み、ガスっていたが一瞬の晴れ間に現われる景観は高山の様相だ。小屋横の残雪を越えて小灌木帯の尾根を登り続ける。ガスの向うでホシガラス?がハイマツの松かさをついばみ、ライチョウの親子がクークー鳴きながらよちよち歩いていた。岩稜とお花畑が交互に現われる急坂を、時には雪渓を越えながら登る。標高2500メートルを越える辺りから高山植物が花のシーズンを迎え、撮影をだしにして休憩の連続だ。何人もの登山者に追い抜かれながらゆっくりと岩稜を登る。カニのハサミとおぼしき所も鎖のお蔭で難なく通過し、ガレ場で別山尾根ルートに合流するとそのすぐ先が剱岳山頂だ。4年前に合流点から早月尾根下方に早月小屋が見えたのが懐かしい思い出だ。今回は残念ながら視界ゼロだ。沢山の人が憩う山頂には4年前にあった祠はなく剱岳の表示板しかなかった。

 ガレ場の別山尾根を下るとすぐに下り専用のカニの横ばいだ。その先の梯子で渋滞中のため、横ばい中のガスってボーとした人影を見物だ。梯子を下って避難小屋を通り過ぎると平蔵のコルの鎖場だ。前剱の門の絶壁を鎖を頼りに登り、前剱を過ぎて前剱の大岩の鎖場を通ると難所は終わりだ。一服剱の手前の武蔵のコル辺りのお花畑のハクサンイチゲやハクサンフウロが満開だ。上り返した頂上が一服剱で、剱沢や周辺の山々の絶景が望める筈だが、とうとうポツリときて雨具をつけ、きょうは展望は駄目だ。黙々とガレ場を下ると一昨年に雪崩で倒壊し昨年に建て替えられた剱山荘だ。
 
(早月小屋から見えた小窓尾根)   (石ころの急登が続く)    (ガスの中のホシガラス?)

    (鎖場が現われる)      (ガスの中のライチョウ)   (標高2600を越えるとお花畑)

 
   (カニのハサミ付近)       (カニのハサミ付近)         (別山尾根合流点)

     (剱岳山頂)         (4年前にあった山頂の祠)     (4年前の別山尾根)

   (4年前の早月尾根)       (別山尾根を下る)     (4年前になかった金属表示板)

    (カニの横ばい)        (渋滞中の平蔵のコル)         (前剱の門)

 (一服剱から下りのお花畑)  (雪渓を横切ると剱山荘は近い)  (ハングルもある案内板)

 
 剱登山も国際的になったらしく、英語の他にハングルの案内表示が建てられていた。剱山荘前で雨具を収納し別山のコルをめざしてハイマツ帯を登る。残雪帯が多いが表面が融けているのでアイゼンは不要、夏道のガレ場を歩くより楽だ。この辺りからガスが晴れ始め、剱沢のカラフルなキャンプサイトや別山が霧の中から姿を現した。振り返ると剱岳が今回初めて姿を見せていた。雪渓を登り終えると、別山乗越の剱御前小舎にやっと到着だ。ガスが晴れたときの乗越からの展望は絶景だ。東北には剱沢の左に剱岳、右に別山、正面の雲の彼方に後立山連峰が見えるはずだ。西南には室道平が眼下に広がり右に奥大日岳、左に浄土山、その彼方に薬師岳が展望できた。
 昨日の疲れがとれないらしく、早月小屋から剱岳山頂まで標準タイムが3時間半のところを、こまめに撮影したとはいえ5時間もかかってしまった。予報ではここ2、3日の天候は悪く、ガスの中ばかりを歩いても面白くないので、晴にならない限り薬師岳縦走はあきらめて室堂へ下ることに決めた。

(第3日)
 朝、小屋を出るとガスの中だ。それでも未練がましく別山めざして尾根を登り始めたが、西方の奥大日岳方面の雲が特に厚く、遠く雷鳴さえとどろいていたので小屋へ引返し、雷鳥沢へ下り始めた。ガレ場の下り坂を慎重に下り、ガスが晴れ始めた色とりどりの雷鳥沢テントサイトを眺めながら、雪渓を下った。きょうは日曜日とあって、別山乗越へ向う多くの登山者とすれ違う時間帯だ。青空も見え出した室堂平を沢山の観光客に混じって室堂ターミナルに到着した。青空に映える雄山や剱岳を後にして、バスの車窓から見える大日岳や薬師岳を楽しみながらケーブルを乗り継ぎ立山駅へ下った。下界は蒸し暑く、少し残念な気分ながら、地鉄で上市駅へ向い、タクシーで馬場島へ帰りついた。蛇足ながらタクシーの正規運賃は約8600円だが、小型車並みに7400円にまけてくれた。馬場島付近からは剱岳は雲に隠れて見えず天候の悪さを暗示していた。立山ICに戻る途中の立ち寄り温泉つるぎ恋月で汗を流してから北陸道に入った。帰途、福井県で激しい雷雨に遭遇、一時PAに退避、雷雨をやり過ごしてから帰阪した。後で知ったことだが、この雷雨は敦賀でテントを吹き飛ばしてけが人がでたものだ。翌日には神戸の雷雨で5人死亡の事故が発生、このところ近畿から北陸にかけて不安定な天気が続いているので、山行を中止したのは正解だったようだ。
 早月尾根(標高差2250メートル、水平距離8.7キロ)は黒戸尾根(標高差2200メートル、水平距離9.5キロ)に比べて標高差、斜度ともに厳しく日本有数の急登尾根だ。実際に登った感じでも甲斐駒より剱の方が厳しかった。登り易さから言えばトリッキーな別山尾根よりも早月尾根の方が登り易いが標高差や距離が長いのが難点だ。今回は天候に恵まれなかったが、高山植物の咲き乱れる早月尾根を存分に楽しむことができた。五色ヶ原は次の機会に是非訪れたいものだ。
 
(ガスの晴れ間に見えた剱山荘) (あちこちに残る雪渓を通過)   (剱沢キャンプサイト)

     (お花畑を進む)      (初めて姿を見せた剱沢)    (しばしば雪渓を横断)

 
(ガスの晴れ間に運搬するヘリ)  (初めて姿を見せた剱岳)     (やっと着いた剱御前小舎)

    (別山乗越から東北を望む、左:剱岳、中央:剱沢、奥:後立山(雲の中)、右:別山)

                   (別山乗越から西南を望む)


   (雷鳥沢へ向って下る)    (ガスっているみくりが池)  (大賑わいの玉殿の湧水前広場)

★道端の花

    ヤマウド(早月900)       ガクウツギ(早月900)    カニコウモリ(早月1000)

 ハナチダケサシ(早月1000)     ?(早月1000)      マイズルソウ?(早月1100)

      ?(早月1100)      オトギリソウ(早月1100)    コガネギク?(早月1300)

  オオバギボウシ(早月1400)     ?(早月1600)      キンレイカ?(早月1600)

   ツクバネソウ(早月1600)     ニガナ(早月1700)     チダケサシ(早月1700)

  ゴゼンタチバナ(早月1700)   オトギリソウ(早月1700)   タニギキョウ(早月1700)

モミジカラマツソウ(早月1700)   ヤマシグレ(早月1800)   ホソバノヤマハハコ(早月1800)

 ミヤマスミレ?(早川1900)    コケモモ(早川1900)     イワイチョウ(早川1900)

   コケモモ?(早月1300)    タカネバラ(早川1900)     イワカガミ(早川1900)

  サンカヨウ(早川2100)     エンレイソウ(早川2100)      ?(早川2100)

      ?(早月2300)     ホザキカエデ?(早月2300)  ミヤマホツツジ(早月2400)

ハクサンシャクナゲ?(早川2500)ショウジョウバカマ(早川2500)    ?(早川2500)

    イタドリ?(早川2500)    タカネスミレ(早川2500)   キヌガサソウ(早川2500)

    シシウド(早川2500)     エゾシオガマ(早月2600)ミヤマダイモンジソウ(早月2600)

 アオノツガザクラ(早月2600)  ヨツバシオガマ(早月2600)  ミヤマキンポウゲ(早月2600)

  コバイケイソウ(早月2600)   クルマユリ(早月2600)      ?(早月2600)

  コガネギク?(早月2600)   チシマギキョウ(早月2600)  トウヤクリンドウ(早月2600)

ホソバノヤマハハコ(早月2600)ミネウスユキソウ(早月2600) ミヤマシオガマ(早月2600)

  イワオウギ(早月2600)       ?(早月2600)       イワベンケイ(早月2600)

ミヤマダイコンソウ(早月2600)  チングルマ(早川2800)  キバナノコマノツメ(早川2800)

     セリ(早川2800)    タカネヤハズハハコ(早川2800)ハクサンイチゲ(早川2800)

  イワベンケイ(早川2800)   ミネズオウ?(早川2800)    イワツメクサ(カニ横ばい)

  シコタンソウ(カニ横ばい)    タカネコウリンカ?(前剱)     ハクサンフウロ(一服剱)

★ルート断面図
(1)馬場島〜早月小屋       (2)早月小屋〜剱御前小舎    (3)剱御前小舎〜室堂

★地  図(GPS軌跡)
(1)馬場島〜早月小屋

(3)剱御前小舎〜室堂              (2)早月小屋〜剱御前小舎

(備考)この地図および断面図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第90号)

(参考地図)
・山と高原地図       剱・立山
・2万5千分の1地形図  剱岳、立山

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