雪景色の明王院
★羅病期間 2012年1月9日(月祝)〜1月27日(金)
★無理して行った日 2012年1月17日(火)
★経緯
(1)感染・潜伏期(1月9日〜1月16日)
恥をさらすレポですが、僕自身の戒めのためにオープンしました。そもそも発端は、1月9日の泉南の昭和山を通る川上新道です。エリアマップでは点線の低標高の尾根道ですが意外に判り難いピークが多く、初めて通る道のため所要時間の予測も難しかった。時刻も遅くなってあせっていたので大汗をかきながら下山しましたが、Q社のヒートテック肌着も大汗にはどうしようもなくベチャベチャ。帰りの電車でガタガタブルブル、おまけに帰りに友人との約束の夕食もあって完全に冷え切った身体を暖めたのは当日遅くになりました。
翌日から寒気がして微熱発生ですが、いままで風邪に罹っても1週間もじっとしていれば治るという変な自信がありました。大阪梅田まで山道具の買い物に出たり、友人家族との新年宴会などでは風邪のため少量のワインで悪酔もしましたが、ごく普通の生活で経過観察です。昨年新規購入したスノーシューの筆おろしもしたかったので準備万端整えて風邪が治るのを待ちました。毎日、寝汗は凄かったが、発症1週間後の16日になって悪寒も治まってきたので快方に向かっていると勝手に判断し、翌17日は久しぶりの快晴の天気予報、近くへ雪見に出かけることにしました。
(2)症状発達期(1月17日)
高槻7:04(名神、湖西道路、R367)=8:38葛川坊村駐車場9:15→Ca700急坂前平地→(急坂付近でスノーシュー練習)→葛川坊村駐車場13:45(R367、R171)=高槻16:00
武奈ヶ岳登山口のある坊村の地主神社前は車で満杯だったので川向こうの駐車場利用だ。明王院前からアイゼンを履き、天気が良いので続々と登ってくる登山者に先へ行ってもらいながらゆっくり休み休み登りました。しかし体調の悪さはどうしようもなく、いつもは登り始めるとONになるスイッチも入らず、足が上がらなくなってとうとう標高700メートル付近の急坂前の平地でダウンです。折角、スノーシューを持ってきたのでここでしばらく初体験、ちょっと間の試用だが、なだらかな新雪面では素晴らしいが、狭い溝型の道や急坂は避けたほうが良さそうだ。アイゼンより大きい機材で雪面を一歩一歩進めるため、壺足で行ける所まではアイゼン、沈み込みが大きくなってからスノーシューを履くのが効率的だが、担ぐのに一工夫要りそうです。しんどさが解消しないので平坦部から時間をかけてゆっくり下り、雪景色の安曇川を眺めながら大原から京都市内を経て帰阪した。
(3)病状診断期(1月18日)
17日晩、咳はなかったが悪寒がひどいうえ右背中が痛み出して寝返りもままならず、18日に高槻日赤病院へ自分の病気では初の訪問です。初診受付で受診科を決めてもらい内科へ、内科受付で早速クレーム、感染症の疑いがあるので売店でマスクを購入して装着とのこと。売店の自販機は売り切れで倉庫から取り出してきてやっと着ける(病院ではマスク必携)。しばらく待合室にいると名前を呼ばれたので診察が始まるのかと思いきや既往症などのアンケート記入だけ。相当時間が経ってから血液検査で2本採血、しばらくして、胸部と腹部および上向けに寝て腹部X線撮影だ。これらのデータが揃った所でやっと診察開始、先生は殆んど患者と向き合うことなく診断画像を操作しながらの面談です。この時点で、血液検査から炎症の存在およびX線画像からほぼ原因が判ったと思われるが、下腹部に別の十円玉位の影があったため最終確定には至らず、別途、超音波エコーとX線CTを撮ることになって一旦帰宅。昔から胆石があるので超音波エコーの経験はあるがCTは初経験です。これは大きなドーナツの中を患者の寝た台が往復するだけで沢山の人体断面画像が撮れます。これらの診断から、十円玉の影は50年前の虫垂炎の跡(組織に同化せず石灰化する場合がある)であることが判り、炎症の原因「肺炎」の種類も確定し、薬店で細菌による感染症治療薬(ジェニナック錠)と発熱・頭痛・疼痛用頓服薬をゲット、その晩から服用しました。
(4)回復期(1月19日〜1月27日)
服用初日、咳をするにも響く寝返り不能の背中痛、ベッドのマットまでしみ込む寝汗や悪寒に悩まされたが、薬の効果抜群で翌20日夕刻には激しい背中痛や悪寒は治まり、1月24日時点で、多少の倦怠感がある程度に回復したが外出は控えました。抗菌薬継続服用の最終日1月27日にX線撮影および血液検査で完治のサインが出ました。
(5)蛇足
僕の場合、主治医および知人のお医者さんによれば、風邪によって気管支粘膜の粘液線毛運動の異物排除機能が低下して口腔内に常駐している細菌が肺胞にまで到達して肺炎を発症し、肺に隣接している痛覚のある胸膜も炎症を起こしたものだそうです。 当初、肺炎を風邪の親分位に軽く考えていました。僕の場合、胸膜の炎症による背中痛が肺炎治療の適切なセンサーとなりました。また、常日頃の薬嫌いが幸いして抗生物質の効果絶大でした。いままで経験したことのないほぼ3週間の罹病期間は貴重でした。年齢とともに身体機能や免疫力が下がることを前提に、自分の体力をわきまえてバランスのとれた日常生活をおくることが大切です。怖ろしいのは夢を見失うことです。
(雪景色の安曇川を渡る) (うんうん!唸りながら登る)
(平地でスノーシューのお稽古)