★ひとこと 「二河原邊から足谷川南尾根で山頂を経て水分道で下山」
金剛輪寺
★行った日 2013年1月11日(金) 晴時々曇 単独
★コース
高槻6:12(近畿道)=松原IC(府道2、府道31、R170、R309)=7:47ちはやあかさか道の駅7:57→奉建塔8:07→8:47上赤坂城址8:53→猫路城跡9:15→9:42鉄塔9:50→坊領城跡10:09→鉄塔10:19→11:06青崩道合流11:13→セト11:15→11:46国見城址11:54→(1125m)葛木神社12:03→国見城址12:10→セト12:33→森屋分岐12:45→泣石谷分岐13:06→13:13鉄塔13:23→13:52四等三角点14:01→休場14:22→水わけ14:32→14:52ちはやあかさか道の駅14:57(R309、R170、府道31、府道2)=松原IC(近畿道)=高槻駅16:43
金剛山に標高差1000メートルの桐山・二河原邊(にがらべ)道が近年整備され、ネットにもアップされている。三連休前の晴れ間を利用して、二河原邊から楠公ゆかりの城跡の点在する足谷川南尾根で山頂へ登り、古くからある足谷川北尾根の水分(すいぶん)道で下山の計画だ。快晴だが金剛山と葛城山の山頂付近のみ雲がかぶっている山並みを眺めながらちはやあかさか道の駅到着だ。
道の駅から車道を進み、三叉路の先の小高い丘の大きな塔が楠公精神はなやかなりし頃に建立された奉建塔(ほうけんとう)だ。車道に戻り、二河原邊の集落を過ぎ、二河原邊橋を渡って給食センター前を左折すると上赤坂城址の登り口だ。振り返ると富田林の田畑が綺麗だ。植林帯の尾根道を進み、一の木戸から三の木戸を過ぎると多くの曲輪(くるわ)が散在し、丘の上が本丸跡の上赤坂城址の広場だ。前方には南河内の平野が広がり、後方にはつわものどもが夢の跡の雑木林が静まり返っている。砦跡の白杭の建つ稜線をなだらかに上ると次のピークが猫路山城跡だ。植林帯の中の一通過点だ。二本の鉄塔を過ぎて稜線を上り続けると坊領山分岐だ。北へちょっと上ると表示がなければそれと気づかない坊領山城跡だ。ここから長い植林帯の尾根道を上ると電波中継施設跡の先で青崩(あおげ)道と合流だ。すぐ先の鞍部のセトで右下から来た黒栂(くろとが)谷道と合流、丸太階段の尾根道を延々と上る。やがて標高1000メートルに近付くと木々に霧氷が付きだし、一面に霧氷の華が咲き出すと国見城址だ。大阪平野は靄がかかって見晴しはいまいちだ。
(奉建塔)
(上赤坂城址登り口)
(登り口から富田林を振り返る)
(植林帯のU溝道を登る)
(上赤坂城址) (つわものどもが夢の跡)
(点在する砦跡)
(猫路城跡) (笹薮の道を行く)
(青崩道出合) (セト) (丸太階段を上る)
(標高千米で現れる霧氷)
(霧氷の華咲く国見城址下) (国見城址)
今の時期としては珍しいほど雪の少ない参道を上って葛木(かつらぎ)神社に手を合わせ、すぐに下山だ。往路を戻り、桐山・二河原邊道分岐を過ぎて、しばらく青崩方向へ下ると森屋分岐表示に従って西尾根に入る。道がだんだん怪しくなり、このまま尾根を進むと足谷川へ下りそうなので、途中から間伐材の散らばった北尾根を下り、水分道に合流したが、どうも青崩道から左折するのが早過ぎたようだ。泣石谷を右に分け、鉄塔を過ぎて、よく踏まれた溝に掘れた道をどこまでも下る。四等三角点に寄り道をして、少し下ると大きな建物の横から林道が始まる。休場(やすんば)で足谷林道と合流、景色の良い水わけ付近の林道を下り、二河原邊橋で往路と合流、しばらく車道を下ると道の駅だ。
桐山・二河原邊道は距離は長いがその分なだらかな稜線だ。植林帯の稜線が多いが城跡なども点在する歩き易い道だ。それに比して水分道は、往路に使うと植林帯の上り一辺倒のしんどい道なので下り向きだ。二河原邊からの金剛登山道は標高差1000メートル距離8キロと長いが、史跡探訪を兼ね、雄大な金剛山を実感できる道だ。
(葛木神社へ向かう参道を上る) (葛木神社) (上赤坂城址分岐まで戻る)
(森屋分岐から西尾根へ)
(尾根道を西進)
(間伐材放置尾根を下る)
(水分道に合流)
(泣石谷分岐)
(高圧鉄塔下を行く)
(U溝を下る)
(樹林内の四等三角点)
(建物横から林道が始まる)
(休場で足谷林道合流) (水分付近の林道を下る) (二河原邊の集落を下る)
★ルート断面図
★地 図
(1)ちはやあかさか道の駅 (2)金剛山
(備考)この地図および断面図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第90号)
(参考地図)
・山と高原地図 金剛・葛城・紀泉高原
・2万5千分の1地形図 御所(ごぜ)
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