★ひとこと 「乎弥神社から砦跡をたどって余呉湖を周回して今市へ」
賎ヶ岳から余呉湖、行市山を望む
★行った日 2013年11月9日(土) 晴後曇 単独
★コース
高槻5:05(名神、北陸道)=木之本IC(R365)=6:51毛受兄弟墓(自転車デポ)6:57(R365)=7:04乎弥神社P
7:13→大岩山7:48→8:33(421.1m)賎ヶ岳8:52→飯浦切通9:05→9:55(458.1m)太平良山10:01→権現峠10:23→10:37鉄塔10:44→林道出合10:53→11:07休憩11:14→林道別れ11:51→12:23休憩132:30→(659.7m)行市山12:43→(444m)別所山13:09→13:26(368.4m)中谷山13:31→毛受兄弟墓13:49(R365)=自転車(4.3km)=14:13乎弥神社P14:19(R365、R303、R161、湖西道路)=京都東IC(名神)=高槻16:48
紅葉が平地に下りてきたので余呉(よご)界隈の山歩きだ。木之本の江土(えど)集落から余呉湖を時計回りに、大岩山、賎ヶ岳(しずがだけ)、太平良山(おおひらやま)、行市山(ぎょういちやま)を経て毛受(めんじゅ)兄弟墓へ周回の計画だ。北国街道R365を木之本ICから北上、今市バス停から左に入った毛受兄弟墓所に自転車をデポ、元へ戻ってJR余呉駅近くの乎弥(おみ)神社の駐車場へとめさせてもらった。
乎弥神社から少し西へ行った民家の横が江土登山口だ。岩崎山砦跡近くを通ってなだらかに稜線を登り続けると大岩山砦跡だ。古戦場遺跡の残る杉林の尾根をしばらく進み、広葉樹林の急坂をひと登りすると展望抜群の賎ヶ岳砦跡の広場だ。北方には眼下の余呉湖を中心に江若国境の山々、南には湖北の風景が雄大だ。水上勉著「湖の琴」に余呉湖を”波一つない鏡面のような湖面は山影をうつして蒼光りし、暗く沈んでいた”と描写している。湖岸のたたずまいは変わっても自然は不変だ。山頂から急坂を下り、飯浦(はんのうら)切り通しで湖北の飯浦を左に分け、稜線を登り返す。右に余呉湖の湖面を樹間からちらちら眺めながらアカマツ林もある雑木林の尾根道を進むと林間の太平良山だ。
(立派な乎弥神社から出発)
(民家横の江土登山口から登る) (岩崎山砦跡付近を行く)
(大岩山砦跡に寄る) (遺跡の残る樹林尾根を行く)(広葉樹が現れると山頂はすぐ)
(飯浦切通しを横切る) (アカマツ林を行く)
(林間の太平良山三角点)
山頂から踏み跡の薄い雑木林を北上すると塩津と余呉を分ける灯篭のある権現峠だ。峠からはっきりした巡視路を進むと鉄塔だ。鉄塔から西へ下る巡視路と別れ、北へススキの薮へ突入すると踏み跡が現れ、そのまま尾根をたどって林道へ合流だ。逆にたどる場合は手書きの余呉湖の小さな標柱が目印だ。塩津へ下る林道を左に分け、池原へ向かう林道を直進だ。途中所々で余呉方面の展望を楽しみながら約1時間の地道林道歩きだ。途中で普通車が止まっているので通行止めではないようだが確証なし。鞍部の集福寺越で池原文室(いけはらふむろ)林道を右に分け、少し池原小谷(いけはらおうたに)林道を直進して林道マップのある所から尾根へ向かって薮っぽい踏み跡を登る。尾根にはちゃんとした山道があり、笹原林床のブナ林もある色づいた黄葉の道を倒木を越えたりしながら登ると毛受ルートとの登山道出合だ。行市山砦跡を登ると見晴しのよい切り開きの行市山三角点だ。山頂からは東に余呉の集落の彼方に金糞岳(かなくそだけ)、南には琵琶湖が望める。山頂から雑木林の稜線をしばらく下ると別所山砦跡の平地だ。このすぐ先で池原小谷林道を横切り、中谷山砦跡を過ぎて下り続けると毛受兄弟墓の行市山登山口だ。自転車をゲット、広い歩道のある北国街道を快調に乎弥神社へ帰り着いた。
余呉湖周辺の行市山や賎ヶ岳に存在する古戦場の砦跡探訪とともに色づいた里山歩きが楽しめるルートだ。また、賎ヶ岳や行市山からの湖北地方の展望が素晴らしい。
(ヤブっぽい樹林を行く) (雰囲気のある権現峠)
(鉄塔からヤブの北尾根へ)
(林道へ飛び出す)
(長い池原小谷林道歩き)
(集福寺越えで尾根取り付き)
リュウノウギク?(林道) ヤクシソウ?(林道) ?(林道)
★ルート断面図
★地 図
(備考)この地図および断面図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第90号)
(参考地図)
・2万5千分の1地形図 木之本
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