倒木を乗り越えて崩落もあるガレ場の続くトラバース路を屏風岩の下方をなぞるように登る。尾根で折り返して、石積みもある放棄された畑地のような緩斜面を進み、植林帯を抜けると屏風集落だ。どこからかラジオが聞こえてくるが、集落には無住の立派な家屋が散在している。林道の集落入口の「通行止め」表示に従い、折り返す方向の後谷へ向かう。イワスから南へ伸びる尾根を巻いてほぼ水平な林道を、左下に新緑の間から垣間見える県道を眺めたりして、集落の墓地の下をかすめて、ブルーのヤマホタルカズラや黄色の鮮やかなヤマブキを愛でながら進むと後谷分岐だ。屏風方面の鎖ゲートをまたぎ、下から上ってきた林道に合流、後谷へ向かう。なだらかな林道をしばらく北上すると後谷集落だ。屏風と異なり、車のある一軒を除き完全な廃屋ばかりだ。後谷は屏風とともに江戸時代から薪炭や小規模農業を生業として続き、昭和期には一時イワス鉱山ブームの恩恵に浴したが、閉山後は廃村の道を辿ってきた。林道終点の一軒家から谷筋を眺めると、鉱山施設の一部のようなタンクが谷を塞ぎ、そのはるか上方にイワス鉱山とイワスのピークが望める。ちょっと戻って、廃屋の横から西寄りの谷筋をたどり、地形図の神社へ向かう石段の下を進み、涸れた広い谷筋の植林帯を進む。この薄暗い谷筋には、多分後谷出身者と思われる戦没兵士の顕彰碑が数基祀られている。
(歩き難いガレ場の道が続く)
(植林帯の石垣の道)
(かつての畑作地帯?を行く)
(屏風集落に到着) (集落入口は通行止め) (林道で後谷集落へ)
(新緑を通して県道を見下ろす)(ヤマブキを愛でつつブラブラ) (一般車は屏風へは通行止)
(後谷集落へ向かう)
(後谷集落で林道終点) (後谷からイワスを見上げる)
(廃屋横から西寄り谷筋へ) (地形図の神社への石段) (谷筋にある戦没兵士顕彰碑)
谷筋の頂点からカレンフェルトの岩稜帯をしし垣のような石灰岩の垣根に沿って樹林帯を登りつめると林間のイブキ三角点小広場だ。ピークからイワス鉱山を目指すが、見通しのきかない樹林帯の幅広尾根はうっかりすると方向を間違い易く、GPSで修正しながら進むと鉱山林道出合だ。ガレた地道ながらしっかりした林道をしばらく登り続けるとイワス鉱山ゲートだ。鉱山施設の探索はせず、山側が荒々しい採掘岩壁に囲まれた広々とした平地の木陰で小休止だ。ネット情報を見ていると今までの疑問が解消だ。名神の彦根ICから米原方面に向かうと橋梁のような構造物をくぐるが、これはイワス鉱山から彦根の工場へ鉱石運搬用索道のための覆い(新幹線にもある)だそうだ。見上げる崖の上がイワス頂上だが、直登は不可能なため鉱山林道を少し戻って尾根に取り付く。等高線の混んだ所が難物、良く滑る急斜面を小木を手掛かりに登り、最後は赤布を頼りに石灰岩の間をよじ登るとイワス頂上だ。漢字では岩巣と書くらしく、名は体を表すイワス鉱山頂上からの南の展望は素晴らしい。足元の後谷集落やイブキの向こうに湖東平野が広がり、その彼方に琵琶湖や比良山系が望める。ピークから崖沿いに東南へ進むとベンチカット工法の採掘現場跡があるがカット、北尾根を進む。鞍部の使途不明のコンクリートの擁壁の上を渡ってP639で方向を北から東に変えてしばらく進むと霊仙山も望める展望の良い鉄塔だ。
(カレンフェルトの斜面を登る) (林間のイブキ三角点)
(幅広稜線をイワス鉱山へ)
(イワス鉱山道路出合) (イワス鉱山ゲート)
(鉱山探索をせず広場で休憩)
(イワスへ急斜面を劇登り) (赤布を頼りにルートを辿る) (絶景のイワス山頂)
(イワス頂上から湖東を望む)
(使途不明のコンクリ壁を渡る) (P639で北から東方向へ) (展望の良い鉄塔)
びわ湖北部も見える鉄塔を後にし、比婆山から北へ少し下ると男鬼(おおり)から上ってきた林道出合だ。山陰に2基の灯篭を配した玄関口のような門があり、その奥の岩壁にはめ込まれたような扇形の社屋が比婆神社本殿だ。建物は比較的新しく建て替えられたもので、起源は諸説紛々、詳細不明だ。手を合わせて社屋を後にし、きょう初めて出合う沢山の登山者が憩っているなだらかな斜面を登ると比婆山だ。比婆山から東南へ稜線をP688の高取へ向かって下り、地形図の破線の位置から南へ、踏み跡もリボンもない尾根を下る。途中の石灰岩が露出したカレンフェルトの台地で昼食だ。新緑の樹林帯だが、鳥のさえずりと涼風に癒されながら昼食、襲ってくる眠気を振り払って下り始める。左下に歩き易そうな谷筋が見えた所で涸れた谷筋へ、咲き終わりかけの白玉を楽しみつつ下る。しばらく下ると右から来た谷筋と合流、すぐ前が大きな砂防堰堤だ。登りやすそうな堰堤左側を登り、下流側に頼りなさそうな残置ロープがあるので正しいルートと確信して注意深く堰堤下へ下る。堰堤銘板に1985年竣工とあり、37年前にも関わらず砂で埋まってないのが不思議だ。流れに沿って少し下ると林道始点、林道に沿って甲頭倉集落の家屋が点在だ。沿道には立派な西連寺や八幡神社が建ち、民家も生活臭が残っているが人影は全く見かけない廃村だ。ここは田畑は皆無で薪炭や林業で生計を立ててきて、昭和期にはイワス鉱山により活況を呈したが、閉山に伴って廃村に追い込まれたようだ。集落を過ぎて山肌をぬう30分の林道歩きで芹川沿いの県道出合だ。一般車は通行止のゲートを経て県道を下流側へ戻ると駐車地点だ。
この辺りには廃村が点々と散在しているが、そのうちの3村と鉱山跡と比婆神社をからめての周回だ。江戸期から守られてきた生業が近代化の波に洗われ、廃村に追い込まれていく姿を目の当たりにすると、自然の成り行きとはいえいたたまれない気がする。きょうの周回路は踏み跡もない所や荒れたルートもあるので要注意だ。
(鉄塔から霊仙山を望む) (鍋尻山や御池岳を望む) (ピークから北の比婆神社へ)
(ピークの比婆山へ戻る) (ピークから霊仙山を望む) (地形図破線通りに南へ下る)
(カレンフェルト台地で昼食) (尾根から左の谷筋へ下る) (咲き残る白玉)
(地形図破線の谷筋と合流) (砂防堰堤左側を越える) (砂防堰堤を振り返る)
(甲頭倉の家屋が谷沿いに続く)(西蓮寺と八幡神社を振り返る)
(道端に散在する祠)
(鍋尻山を見つつ長い林道下り) (やっと県道出合)
(一般車は進入禁止)
★ルート断面図
★地 図
(備考)この地図および断面図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第90号)
(参考地図)
・山と高原地図 御在所・霊仙・伊吹
・2万5千分の1地形図 彦根東部
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