★ひとこと 「柏尾台から丹生山系稚子ヶ墓山を経て無動寺へ」
山田町福地集落から稚子ヶ墓山を望む

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★行った日 2005年2月22日(火) 晴
単独
★コース
高槻6:40(中国道、阪神高速北神戸線)=箕谷IC=7:45柏尾団地7:55→志久ノ峠分岐8:20→8:43稚児の墓8:51→(596.3m)稚子ヶ墓山8:54→双坂池分岐8:59→R428交叉9:24→無動寺9:34→柏尾団地10:12=丹生神社登り口横農道10:38
積雪のない低山を狙って、六甲山の裏にひっそりとたたずむ丹生(たんじょう)山系へ出かけた。最近、中国道と阪神高速北神戸線が西宮山口JCTでつながり、そのため有馬方面が非常に便利になり、大阪から柏尾団地まで約1時間で着いた。稚子ヶ墓山(ちごがはかやま)登山口横の北公園近くに駐車して出発した。
北公園横の道路わきの木の枝に小さく手書きで「稚子ヶ墓山」と書かれた板がぶら下がっているのを手ががりに舗装道路を登りだした。ここ以降の登山道にはこまめに表示があるので道に迷うことはない。すぐに舗装から地道になるが石畳もあり、昔からよく通られた志久峠越の道らしい。荒れたガレ場もある道を団地から約30分登ると志久越道と別れ、丹生山縦走路でもある稚子ヶ墓山へ通じる登山道を登りはじめる。間もなく南側が開けた見晴らしのよい稚子ヶ墓だ。すぐ隣の稚子ヶ墓山三角点は見晴らしが悪いのでここで休息したほうがよい。稚子ヶ墓山の山名の由来は、掲示によれば「羽柴秀吉の三木城攻めのさい、丹生の僧兵が別所に味方したため、全山が焼き討ちに逢い、その時死んだ侍童を祀ったもの」らしい。南方には特徴のあるアンテナが山頂にある菊水山から明石方面が眼下に広がっている。
(柏尾台北公園横登り口) (落葉絨毯の登山道) (石畳の登山道)
(志久ノ峠分岐の道標) (ガレ場悪路の登山道) (稚子ヶ墓の見晴台)
(稚子ヶ墓山見晴台からの展望)
(南から菊水山、高取山、須磨アルプス、鉄拐山) (西南に明石)
西隣のピークが三角点だ。双坂池への分岐を通り無動寺へ下る。途中、昼なお暗いシイノキ林の谷を横切って下ると、R428と交叉し二つの池を通り越すと無動寺だ。平安期の仏像があるところから古い寺だったらしいが詳細は不明らしい。一旦、福地の集落まで下り、田圃のあぜ道を東進する。原野集落から柏尾団地へ通じている道へ出て北公園まで帰りついた。
今度は同じ丹生山系の本命、帝釈山へ登るべく、丹生神社前バス停まで移動し、丹生神社登り口の近傍に駐車した。
(稚子ヶ墓山三角点) (丹生山縦走路分岐) (暗いシイノキ林の谷)
★ルート断面図
★地 図
(参考地図)
・2万5千分の1地形図 有馬