東赤石山(1706.6m)物住頭(1634.3m)西赤石山(1626.1m)
★ひとこと 「筏津から東赤石山を経て岩稜と草原の稜線で銅山越へ」
(道標完備の道) (満開のヤマシャクヤク群落) (丸太橋を渡る)
(丸太橋上の登山道分岐点) (広葉樹林の谷筋を上る) (沢沿いに上る)
(アカイシツツジのプロムナード) (稜線下の小灌木お花畑) (赤石山荘分岐)
(イシヅチザクラ咲く岩稜庭園) (筏場登山道合流点) (三ッ森山を見ながら上る)
東赤石山から稜線伝いに西進だ。ヒメコマツの点在する岩稜帯を進むが、まるで白ペンキの丸印のような模様が岩の表面に付いているのが面白かった(苔の一種?)。中部山岳地帯の岩稜歩きそのままだ。八巻山(はちまきやま)を過ぎ、幾つかのピークを見晴しを楽しみつつ越えて下ると石室越だ。赤石山荘への道を左に分け直進、三角錐の前赤石山へ向う。岩峰の前赤石山の南を巻く岩壁の道を抜け、鞍部で河又への道を右に分け、なだらかに上り返すと物住頭三角点だ。東方には岩峰の前赤石山の向うにエビラ山や赤星山が続き、西方にはこれから向う草原の向うに端正な西赤石山と、その彼方に薄く笹ヶ峰、瓶ヶ森、石鎚山が連なっていた。 (ヒメコマツが点在する岩稜越え) (八巻山から見た東赤石山) (八巻山頂上)
(八巻山から東〜南〜西を望む)
(南ア悪沢岳に似た岩稜帯を行く) (石室越) (石室越から前赤石山)
(前赤石山を巻く) (岩稜巻道から西赤石山) (物住頭三角点)
(物住頭から東〜南〜西を望む)
物住頭から小灌木帯を西赤石山へなだらかに下る。見た目は遠そうだがアップダウンが小さいため時間的に意外に早く絶景の山頂へ到着した。西赤石山はアケボノツツジの開花時期でもあって超満員だ。銅山越へ下る頂上直下の岩場が大渋滞なのでしばらく山頂で大休止だ。山頂から続く尾根を彩る薄ピンクのアケボノツツジが見事だ。山頂の長居も迷惑なので団体の後についてそろそろ下った。はっきりした稜線の道をぞろぞろ銅山越まで下り、多くの人が休憩している広場をパスして日浦へ下った。銅山越あたりでツガザクラ生息地の南限との表示があったが1株だけ登山道周辺で見かけた。この峠道は別子銅山の生活物資や粗銅の運搬で繁昌したそうだ。峠から日浦までの山中には鉱山や精錬所跡は無論、小学校や劇場跡の石垣までも見かけた。同じ銅山でも足尾に比べて裸地が少ないのは、産出量のせいか、環境復元力のせいか?。途中の水場、ダイヤモンド水も鉱山時代のボーリング作業中に地下水が噴出したものだそうだ。日浦登山口でチャリンコをゲット、下り坂ばかりの県道を快調に下って、車の待つ筏津へ帰り着いた。帰りは、新居浜まで往路を引返し、瀬戸大橋を渡って往復とも1000円高速を利用して渋滞にも会わず順調に帰阪した。 中部山岳地帯とよく似た岩稜があり、蛇紋岩特有の花の山でもある東赤石山一帯。ピンクのアケボノツツジが山肌を彩る西赤石山。両者を結ぶ展望の稜線など素晴らしい一語だ。また、日浦から銅山越の別子銅山の遺跡も興味の尽きない所だ。 (西赤石山へなだらか稜線を行く) (物住頭を振り返る) (笹原小灌木帯を行く)
(越えてきた稜線) (大混雑の西赤石山三角点) (アケボノツツジの下り稜線)
(西赤石山から東〜南〜西を望む)
(アケボノツツジの尾根を下る) (西赤石山を振り返る) (大渋滞の登山道)
(大渋滞の登山道) (先の白い裸地が銅山越) (銅山越から日浦へ下る)
(旧別子銅山の広い道を下る) (銅山探訪用遊歩道) (ダイヤモンド水休憩所)
(左石垣は別子銅山小学校跡) (右下が日浦登山口) (日浦登山口)
?(筏場) キランソウ(筏場) ミヤマニガイチゴ?(筏場)
ヒメバライチゴ?(瀬場谷) タチツボスミレ(瀬場谷) ヤマブキ(瀬場谷)
イチリンソウ(瀬場谷) コンロンソウ(瀬場谷) ヤマシャクヤク(瀬場谷)
ミツバツツジ(瀬場谷) ?(瀬場谷) エンレイソウ(瀬場谷)
ムシカリ(瀬場谷) アブラチャン(東赤石山) 岩のマーク!(東赤石山)
イシヅチザクラ(東赤石山) ショウジョウバカマ(八巻山) アケボノツツジ(八巻山)
ミツバツチグリ?(西赤石山) ナガバタチツボスミレ(西赤石山) ミヤマハコベ(西赤石山)
ナガバモミジイチゴ(西赤石山) ミヤマカタバミ(銅山越) ツガザクラ(銅山越)
ヒカゲツツジ(銅山越) タネツケバナ?(日浦) ウツギ(日浦)
★ルート断面図
Homeへ