東赤石山(1706.6m)物住頭(1634.3m)西赤石山(1626.1m)


★ひとこと   「筏津から東赤石山を経て岩稜と草原の稜線で銅山越へ」

西赤石山頂上付近のアケボノツツジ群

★行った日   2009年5月10日(日)  晴   単独
 
★コース

湯之谷温泉(R11、県道(新居浜別子山線))6:05=日浦登山口(県道)7:05=7:17筏津登山口7:25→丸太橋8:17→丸太橋9:06→渡渉9:39→10:10赤石山荘分岐10:16→登山道合流10:33→尾根道合流10:45→10:54(1706.6m)東赤石山11:00→尾根道合流11:05→(1698m)八巻山11:24→11:56休憩12:07→石室越12:16→河又分岐12:46→(1634.3m)物住頭12:53→13:33(1626.1m)西赤石山13:53→小足谷分岐14:35→銅山越14:53→ダイヤモンド水15:21→日浦登山口(県道)15:49=(自転車4.1km)=16:09筏津登山口16:15(県道、R11)=新居浜IC(松山道、高松道、瀬戸中央道、山陽道、中国道)=高槻21:20

 四国の東の名峰、石鎚山系の東に位置するのが赤石山系だ。東西の赤石山へ登りたかったので、筏津から登って二百名山の東赤石山から西赤石山へ縦走し、銅山越から日浦へ下る計画だ。新居浜から細い1車線道路と広い2車線とが混在する県道で、笹ヶ峰前峰の黒森山の岩峰を眺めつつ標高約千米の大永山トンネルを越え、日浦登山口で自転車をデポし、筏津へ着いたが銅山川を渡った所の駐車場が満車なので登山口の路端に縦列駐車だ。満車の日浦登山口付近には多数のチャリンコが置いてあったので同じ計画の人が多いらしく意を強くした次第。
 登山口から急な針葉樹林帯を登るが、すぐになだらかな灌木帯となる。瀬場からの道を合わせて瀬場谷の右岸の山腹を時には崖に注意しながら進み、丸太橋を渡る。ここで今まで見たこともない位大規模場なヤマシャクヤク群落が満開の季節を迎えていた。橋の先で道は二又に別れ、右は直接東赤石山へ向うが、左の瀬場谷を詰める道を選んだ。幾つかの支谷を越え、山腹を巻いて瀬場谷をさかのぼり、第2の丸太橋を渡って更に明るい谷間を進む。最後に谷を渡ると山肌を登る道となり、ピンクのミツバツツジ(アカイシツツジ?)が道端を飾る小灌木帯を進む。正面に八巻山の岩壁が現われると、三叉路が現われ、左は赤石山荘だが右の巻道を行くと東赤石山だ。この辺りは、赤茶けた岩肌に薄ピンクのアケボノツツジが点在し、合間にイシヅチザクラがひっそり咲いている小灌木帯だ。もう少し経つと色んな草花が咲き乱れるお花畑だそうだ。巻道を行くと、第1の丸太橋で別れた道と合流し、急坂を少し登ると尾根道に合流だ。左は八巻山、直進は土居町へ下る十字路だ。右へちょっと登ると狭い岩盤が東赤石山だ。北の視界が開けて、上兜山、下兜山から土居町へ続く稜線が伸び、その彼方に燧灘が薄く広がっていた。

     (筏津登山口)         (針葉樹林帯を上る)    (整備された山腹トラバース道)

     (道標完備の道)        (満開のヤマシャクヤク群落)     (丸太橋を渡る)

  (丸太橋上の登山道分岐点)  (広葉樹林の谷筋を上る)      (沢沿いに上る)

 
 (丸太橋で沢を何度か渡る)     (小灌木帯を行く)         (最後の沢渡渉)

(アカイシツツジのプロムナード)  (稜線下の小灌木お花畑)       (赤石山荘分岐)

 (イシヅチザクラ咲く岩稜庭園)   (筏場登山道合流点)     (三ッ森山を見ながら上る)

 
     (尾根道合流点)       (狭い東赤石山の岩盤)   (これから越える八巻山稜線)

 東赤石山から稜線伝いに西進だ。ヒメコマツの点在する岩稜帯を進むが、まるで白ペンキの丸印のような模様が岩の表面に付いているのが面白かった(苔の一種?)。中部山岳地帯の岩稜歩きそのままだ。八巻山(はちまきやま)を過ぎ、幾つかのピークを見晴しを楽しみつつ越えて下ると石室越だ。赤石山荘への道を左に分け直進、三角錐の前赤石山へ向う。岩峰の前赤石山の南を巻く岩壁の道を抜け、鞍部で河又への道を右に分け、なだらかに上り返すと物住頭三角点だ。東方には岩峰の前赤石山の向うにエビラ山や赤星山が続き、西方にはこれから向う草原の向うに端正な西赤石山と、その彼方に薄く笹ヶ峰、瓶ヶ森、石鎚山が連なっていた。

(ヒメコマツが点在する岩稜越え) (八巻山から見た東赤石山)      (八巻山頂上)

                 (八巻山から東〜南〜西を望む)

(南ア悪沢岳に似た岩稜帯を行く)     (石室越)          (石室越から前赤石山)

     (前赤石山を巻く)       (岩稜巻道から西赤石山)      (物住頭三角点)

                  (物住頭から東〜南〜西を望む)

 物住頭から小灌木帯を西赤石山へなだらかに下る。見た目は遠そうだがアップダウンが小さいため時間的に意外に早く絶景の山頂へ到着した。西赤石山はアケボノツツジの開花時期でもあって超満員だ。銅山越へ下る頂上直下の岩場が大渋滞なのでしばらく山頂で大休止だ。山頂から続く尾根を彩る薄ピンクのアケボノツツジが見事だ。山頂の長居も迷惑なので団体の後についてそろそろ下った。はっきりした稜線の道をぞろぞろ銅山越まで下り、多くの人が休憩している広場をパスして日浦へ下った。銅山越あたりでツガザクラ生息地の南限との表示があったが1株だけ登山道周辺で見かけた。この峠道は別子銅山の生活物資や粗銅の運搬で繁昌したそうだ。峠から日浦までの山中には鉱山や精錬所跡は無論、小学校や劇場跡の石垣までも見かけた。同じ銅山でも足尾に比べて裸地が少ないのは、産出量のせいか、環境復元力のせいか?。途中の水場、ダイヤモンド水も鉱山時代のボーリング作業中に地下水が噴出したものだそうだ。日浦登山口でチャリンコをゲット、下り坂ばかりの県道を快調に下って、車の待つ筏津へ帰り着いた。帰りは、新居浜まで往路を引返し、瀬戸大橋を渡って往復とも1000円高速を利用して渋滞にも会わず順調に帰阪した。
 中部山岳地帯とよく似た岩稜があり、蛇紋岩特有の花の山でもある東赤石山一帯。ピンクのアケボノツツジが山肌を彩る西赤石山。両者を結ぶ展望の稜線など素晴らしい一語だ。また、日浦から銅山越の別子銅山の遺跡も興味の尽きない所だ。

(西赤石山へなだらか稜線を行く)  (物住頭を振り返る)      (笹原小灌木帯を行く)

    (越えてきた稜線)     (大混雑の西赤石山三角点)  (アケボノツツジの下り稜線)

               (西赤石山から東〜南〜西を望む)

 (アケボノツツジの尾根を下る)   (西赤石山を振り返る)      (大渋滞の登山道)

    (大渋滞の登山道)      (先の白い裸地が銅山越)   (銅山越から日浦へ下る)

 (旧別子銅山の広い道を下る)    (銅山探訪用遊歩道)     (ダイヤモンド水休憩所)

(左石垣は別子銅山小学校跡)   (右下が日浦登山口)        (日浦登山口)

★道で出会った花

       ?(筏場)           キランソウ(筏場)      ミヤマニガイチゴ?(筏場)

   ヒメバライチゴ?(瀬場谷)    タチツボスミレ(瀬場谷)      ヤマブキ(瀬場谷)

   イチリンソウ(瀬場谷)      コンロンソウ(瀬場谷)     ヤマシャクヤク(瀬場谷)

   ミツバツツジ(瀬場谷)        ?(瀬場谷)          エンレイソウ(瀬場谷)

     ムシカリ(瀬場谷)      アブラチャン(東赤石山)     岩のマーク!(東赤石山)

  イシヅチザクラ(東赤石山)  ショウジョウバカマ(八巻山)    アケボノツツジ(八巻山)

 ミツバツチグリ?(西赤石山) ナガバタチツボスミレ(西赤石山) ミヤマハコベ(西赤石山)

 ナガバモミジイチゴ(西赤石山)  ミヤマカタバミ(銅山越)      ツガザクラ(銅山越)

   ヒカゲツツジ(銅山越)     タネツケバナ?(日浦)         ウツギ(日浦)

★ルート断面図

★地  図

 (備考)この地図および断面図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第90号)


(参考地図)
・山と高原地図       石鎚・四国剣山
・2万5千分の1地形図  別子銅山、弟地

Homeへ