中岳(3083.2m)荒川東岳(3141m)千枚岳(2879.8m)


★ひとこと   「聖岳から赤石岳を経て荒川三山周回(4、5日目)」

赤石岳から小赤石岳の向こうに荒川岳(中岳)を望む

★行った日   2011年8月10日(水)  晴   単独
          2011年8月11日(木)  晴   単独
 
★コース

(8月10日)
荒川小屋4:49→三伏峠分岐6:31→6:39(3083.2m)中岳6:43→中岳避難小屋6:45→8:00(3141m)荒川岳8:28→(3032m)丸山8:56→9:42(2879.8m)千枚岳9:54→千枚小屋分岐10:07→10:38休憩10:49→11:24(2503.4m)万斧沢ノ頭11:31→12:11P2271 12:22→大岩12:52→吊橋13:59→二軒小屋ロッジ14:08
(8月11日)
二軒小屋ロッジ7:31(バス)=ダム堰堤バス停9:00→畑薙第1ダム手前駐車場9:14(県道60、県道77、R362、R473、R1)=袋井IC(東名、伊勢湾岸道、東名阪、新名神、名神)=高槻

(8月10日)
 きょうは晴天のもと荒川小屋から荒川中岳、本邦標高6位の荒川東岳、千枚岳を経て二軒小屋へ下る計画だ。
 日の出前に小屋を出発、茜色に染まる富士山に見送られながら小屋裏のダケカンバの森を登り始める。朝日にほんのり染まりだした赤石岳や荒川小屋を振り返りながらハイマツのトラバース道をなだらかに登る。枝尾根を越えるとカール地形の上辺に入り、お花畑が広がっているがニホンジカの食害が激しいらしく、保護柵を何度も開閉しながら通り抜ける。稜線まで登りつめると三伏峠(さんぷくとうげ)を左に分けて稜線を少し上ると荒川中岳だ。三伏峠へ向かう道端に前岳の表示が見えていたがうっかりして通り過ぎてしまった。中岳山頂は文字通り360度の大展望だ。撮れなかったが北アルプスも視認できた。山頂から中岳避難小屋の横を通って荒川東岳へ向かった。

 (朝日に染まりだした赤石岳)    (茜色に染まった富士山)     (朝日に輝く赤石岳)

 (小屋を背に枝尾根を越える)   (ハイマツの山腹を進む)    (食害保護柵を数回通る)

   (カール周辺のお花畑)    (三伏峠分岐、すぐ先が前岳)  (中岳への上りから振り返る)

     (中岳頂上)            (中岳避難小屋)      (東岳へ向かって稜線を下る)

         (荒川中岳から仙丈ヶ岳方面、西〜北〜東を望む)

         (荒川中岳から赤石岳方面、東〜南〜西を望む)

 中岳から荒川東岳を正面に見てあちこちお花畑のある稜線をなだらかに下り、P2973を過ぎてハイマツのヤセ尾根の急坂を下る。鞍部を過ぎて、ジグザグにザレ場を上り、最後に急な岩稜をよじ登ると、岩ゴーロ帯のピークが荒川東岳だ。ここも文字通り360度の豪華な南アルプスの展望台だ。東には毛無山(けなしやま)と富士山の透かし絵のような姿が浮かんでいた。 

 (P2973へヤセ尾根を進む)   (ヤセ尾根の岩場が続く)       (稜線のお花畑)

 (正面に立ふさがる荒川東岳)    (急な岩場を登る)         (中岳を振り返る)

(ハイマツ尾根の先が荒川東岳)   (荒川東岳頂上)     (山頂から富士山、手前は毛無山)

           (荒川東岳から中央アルプス方面、南〜西〜北を望む)

           (荒川東岳から富士山方面、北〜東〜南を望む)

 山頂から富士山に向かってゴーロ帯の岩場を飛び石伝いに進み、岩場の尾根を過ぎると丸い山頂の丸山だ。ここから標高3000メートルにおさらばして、山頂から赤石岳を右に、富士山を正面に眺めつつなだらかに下り、タカネビランジやカワラナデシコの群生するお花畑の岩稜を越えると千枚岳だ。千枚岳の稜線からは、聖岳から赤石岳を経てずっとたどってきた稜線を見渡すことができる。

 (山頂から岩ゴーロ帯を下る)    (岩場の稜線を下る)     (富士山へ向かって岩場を行く)

    (なだらかな丸い丸山)        (丸山頂上)       (稜線から常に見える赤石岳)

  (千枚岳への下りのお花畑)      (岩稜を越える)          (千枚岳頂上)

              (千枚岳稜線からたどってきた稜線を望む)

 エリアマップには山頂から二軒小屋の稜線へ点線の道があるが、ハイマツの中に消えていたので表示通りに千枚小屋方面へ下り、途中の表示に従って二軒小屋へ向かう道に入った。ハイマツの道をなだらかに下り、千枚ガレを迂回して二軒小屋に向かう尾根道に入る。ダケカンバの樹林に入り、しばらく下ると千枚ガレの縁にでて、崩壊斜面が眼前に広がっている。シラビソの樹林に変わった道を下り、次に現れるガレ場からは特徴のある笊ヶ岳を垣間見ながら下ると万斧沢ノ頭(まんのうさわのかしら)だ。ちょっとした林間の広場に三角点が鎮座し、樹間から蝙蝠岳(こうもりだけ)や間ノ岳(あいのだけ)が望めた。樹林をしばらく下ると再び崩壊地の縁にで、見上げると千枚岳と丸山の最後の姿だ。ここから大岩を過ぎ、黙々と樹林を下ると、眼下に真っ青な田代池や二軒小屋ロッジが現れる。仮設梯子もある急坂を下り、西俣への道を左に分けて直進、吊橋を渡って標識通りに進むと二軒小屋ロッジだ。
 初めて雷雨のない終日晴天に恵まれ、最高の展望を楽しみながら3000メートルの稜線を散歩できた。
(8月11日)
 朝一番のバス、椹島(さわらじま)乗換えで畑薙(はたなぎ)第2ダム堰堤だ。道路陥没した所の補修は完成しているが未検査のため駐車場まで歩きだ。帰途、山犬段(やまいぬだん)へ寄ろうとしたが、まだ台風6号のため道路崩落通行止めだ。しかたなく素直に袋井ICから、四日市付近でお盆の大渋滞に遭遇したが、帰るのみなのでゆっくり帰阪した。
 今回の周回ルートは3000メートル峰を4座も通る天空の散歩道だ。あまり危険な所もなく眺望も申し分ない高山植物も豊富なおだやかなルートだ。ただ、時計回りでは、ガスの少ない早朝に赤石岳や荒川東岳が逆光になるのが残念だった。蛇足だが、この山奥に人が住むようになった経緯について冠(かんむり)松次郎著「渓(たに)」の「大井川の冬」の記述によれば、大井川は奥から開けてきたそうだ。井川(いかわ)より田代(たしろ)や小河内(おごうち)の方が先で、700〜800年前に伊那谷から遠山(とうやま)川をさかのぼって易老岳(いろうだけ)を経て信濃俣(しなのまた)に下り、寸又(すまた)谷の大間と大井川の田代へ下って集落を作ったのが先祖だそうだ。それから井川にも人が住むようになったと記されている。昔は田代の者が信州の遠山の和田まで買い物に来たと伝えられており、大日峠(だいにちとうげ)を経て口坂本(くちさかもと)への道が開けたのはしばらく後のことらしい。

  (千枚小屋方向へ下る)   (途中の藪の中のウサギギク)    (二軒小屋分岐標識)

 (ハイマツ道をなだらかに下る) (ダケカンバの樹林を下る)      (ガレの縁を下る)

     (万斧沢ノ頭)       (樹間から望む蝙蝠岳と北岳)      (シラビソ林が続く)

       (大岩)             (急坂を下る)         (二軒小屋ロッジと田代湖)

   (西俣を左に分け直進)    (吊橋を渡って左岸を下る)      (二軒小屋ロッジ)

★道で出会った花(赤石岳にまとめて記載)

★ルート断面図


★地  図



 (備考)この地図および断面図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第90号)

(参考地図)
・山と高原地図       塩見・赤石・聖岳
・2万5千分の1地形図  赤石岳

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