石戸山(548.8m)

 

★ひとこと   「石龕寺から谷筋で岩屋山を経て山頂経由金屋鉱山跡へ」

石戸山一等三角点


★行った日   2016年12月25日(日) 曇時々晴    単独

★コース
高槻5:56(府道46、府道407、R372、県道77、地方道)=7:53石龕寺P8:04→なめらの谷広場8:27→岩屋山(岩屋城跡)9:14→(548.8m)石戸山9:30→見晴し尾根10:03→丹波の森公苑分岐10:14→10:22見晴し尾根10:35→石戸山11:18→金屋鉱山跡11:30→頭光嶺(鉄塔)11:45→鐘楼11:53→石龕寺P12:12(地方道、R175)=氷上IC(北近畿豊岡道)=青垣IC(R427)=高源寺P12:52

 石戸山(いしどやま)は兵庫県中部丹波市の篠山川と加古川合流点近くにあり、紅葉で有名な足利尊氏ゆかりの石龕寺(せきがんじ)や山城跡のある山だ。石龕寺を起点に谷筋から山頂を経て尾根筋へ周回の計画だ。丹波霧に閉ざされた篠山盆地を抜け、篠山川に沿って加古川との合流点の山南町に前方の製紙工場の白煙を見ながら入り、岩屋川に沿って山間部を少し走ると石龕寺だ。手前の駐車場をパスして仁王門前の駐車場にとめる。
 仁王さんが睨みを利かせている霧の晴れつつある仁王門から参道を進み、正面の毘沙門堂に手を合わせ、隣の薬師堂横から山道だ。ネットを過ぎて沢沿いの瓦礫の急坂をしばらく登るとなめらの谷広場だ。眺望点への道を右に分け谷筋を直進、杉や桧の瓦礫の谷筋を登ると途中からコナラなどの広葉樹の谷筋に変わり、滑り易い源頭部の急坂を頑張ると稜線出合だ。いまは踏み跡もない荒れた谷筋だが、所々で階段の丸太のようなものや道形が散見され、旧道があったようだ。稜線を右へ少し登ると岩屋城跡の岩屋山だ。祠のある山頂は樹木に囲まれ展望はないが樹間から雲海に浮かぶ笠形山が望めた。頭光嶺分岐のT字路を直進、樹林帯の尾根道をしばらく進むと石戸山だ。一等三角点の山頂は樹林帯の中、展望はまったくない。

       (案内図)        (駐車場前の仁王門を出発)       (毘沙門堂へ)

  (薬師堂横から山道へ)     (沢沿いに荒れた道を登る)      (なめらの谷広場)

   (杉や桧の谷筋を登る)  (コナラなど広葉樹の谷筋を行く)    (やっと稜線出合)

   (岩屋山(岩屋城跡))         (岩屋山の説明)       (石戸山一等三角点)

 石戸山から高見城山方向へ稜線探索に2キロほど北上してみたが、これといって興味を引くものもなかったので丹波の森公苑分岐から退却だ。西方の展望の開けた見晴し尾根で小休止、往路を戻ってT字分岐から金屋鉱山跡へ下る。鉄平石(板状の建築素材)採掘現場跡と放棄された重機の横から道標に従ってしばらく進むと鉄塔の建つ頭光嶺だ。鉄塔台地から西に笠形山方面の山並みが望め、北方の石戸山左の絶壁は山を切り崩した鉱山跡だ。台地から少し下ると山南町が見下ろせる鐘楼が建ち、奥の院へ石灯籠が連なっている。奥ノ院へ寄らずに杉林の急坂をしばらく下ると石龕寺の境内に入り、奥の院参道入口に降り立つ。だらだら坂の参道を下ると駐車地の仁王門だ。午後に予定している岩屋山登山口のある青垣の高源寺へ向った。
 もみじ寺として有名な石龕寺を山懐に抱く里山だ。山中に尊氏ゆかりの遺跡や山城跡が散在し、今の時期、落ち葉絨毯の明るい尾根歩きとウバメガシなどの常緑樹の道が楽しめる。岩屋城跡への谷筋ルートは正常ルートに飽き足らない人向きだ。

  (見晴し尾根)        (丹波の森公苑分岐で引き返し)(見晴し尾根から石戸山を望む)

  (T字路から鉱山跡へ下る)  (重機も放置された鉱山跡)       (金屋鉱山の説明)

               (頭光嶺(鉄塔)から篠ヶ峰方面を望む)

    (もうすぐ頭光嶺)         (奥ノ院の鐘楼)       (鐘楼から山南町を俯瞰)

   (杉林の急坂を下る)       (奥ノ院参道入口)         (仁王門へ帰着)

★道で出会った花(花はなし)

★ルート断面図

★地  図

 (備考)この地図および断面図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第90号)

(参考地図)
・2万5千分の1地形図  柏原(かいばら)

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