繖山(432.7m)


★ひとこと   「安土市街から安土城跡を経て桑実寺経由観音正寺へ」

紅葉真っ盛りの桑実寺

★行った日   2025年11月22日(土)  晴   単独
 
★コース

JR高槻駅8:14(JR)=JR安土駅9:22→音堂川湧水9:33→北川湧水9:41→セミナリヨ跡10:02→10:12新宮大社10:20→百々橋10:23→大手道入口10:31→安土城天守跡11:00→大手道入口11:32→安土文芸の郷11:55→石段下12:08→山門12:13→12:34桑実寺(昼食)13:05→観音寺城跡13:40→(432.7m)繖山14:02→14:23観音正寺14:41→駐車場14:50→日吉神社15:03→石灯篭15:10→子安地蔵15:42→沙沙貴神社15:57→16:15安土駅16:21(JR)=JR高槻駅17:30

 安土城完成までをノンフィクション風に仕上げた「火天の城」山本兼一著に触発され、紅葉見物もかねて安土城跡界隈の周回だ。安土山を想像たくましくして地形図で眺めると、左に少し湾曲した縦長二等辺三角形で、左右の底辺角のみが陸地に接する、鳰(にお)の海に浮かぶ島のような存在だ。当時はお隣の長命寺のある奥島山もびわ湖最大の島だ。立地は当時の交通の要路に当たり、難攻不落の水城をめざしたのだ。「火天の城」では近江平野に点在する小山から石材を得て穴太衆の力を合わせ、木材は木曾桧を遠路はるばる運び、信長の強力な意志のもと棟梁たちが総力をあげて城郭を造り上げるさまが活写されている。かつて安土城跡を素通りしているが、築城の詳細を想像しながら観察するつもりだ。行楽日和の三連休初日に当たり、車の渋滞が予想されるので公共交通機関利用だ。久しぶりのJR琵琶湖線を北上、沿線には瀬田を過ぎても切れ目なく新しい形の住宅が続き、野洲を過ぎるとやっと緑の田畑が現れる。独立峰の観音寺山や八幡山が遠望できると近江八幡、次が安土駅だ。前回訪れた際は小ぎれいな木造の小さい駅舎だったが、いまは信長像が駅前で睨みをきかす近代的駅舎だ。
 きょうは安土駅を出発点として安土城下観光地図にそって歩くつもりだ。旧市街の清楚な街並みを地図通りに進むと大小の鯉が泳ぐ音堂川湧水だ。この辺りには湧水が多いが、鈴鹿山系を源流とする愛知川が作った扇状地の上にあり、その伏流水が湧き出したものだ。黄葉した銀杏の見事な行安寺を過ぎると北川(貴多川)湧水だ。傍らの円満地蔵尊に手を合わせ、しばらく進むと観音寺山が東に佇むセミナリヨ(神学校)跡だ。信長の援助によりイタリア人宣教師が東西文化交流の場を初めて創ったものだ。紀州熊野の神を勧請したと言われる新宮大社を過ぎて百々橋を渡って安土山南側山麓を東へ進む。2ヵ所の虎口(城郭の小さな出入り口)を過ぎると大手門跡だ。大手道に入り受付を過ぎるといよいよ石段だ。段差の大きい石段が約400段、標高差100m続く。郭跡や鐘楼などに寄り道しながら休み休み登りつめると天守礎石跡だ。この面は天守の地階に当たり、周りの石積みに上がる。雑木が茂って展望はいまいちだが、西方の八幡山方面にびわ湖を介して比叡山が望めた。
 「火天の城」では三万貫の蛇石運びが描かれている。五百貫(1.9d)で百人持ちと言われるので三万貫(114d)で六千人となり、坂を引き上げるにはさらに倍の人数で特製の修羅により運び上げたと記されている。また、木曽桧五百本、中でも大通柱(根元径5尺長さ8間)4本を木曽から運ぶ様子が詳述されている。五層七重の天守をその礎石から想像することは難しいが、重機のない時代にこれだけのものを造り上げたことに驚くばかりだ。

   (安土城下観光地図)        (JR安土駅)       (清楚な街並みの道を行く)

   (鯉が泳ぐ音堂川湧水)  (銀杏の見事な行安寺前を行く)      (北川湧水)


   (セミナリヨ(神学校)跡)       (新宮大社)             (百々橋)

 (虎口(城郭の小さな出入り口))     (大手道入口)     (段差の大きい400段の大手道)

  (道端の秀吉の曲輪跡)    (ツワブキの咲く石段を頑張る)    (本丸付近の石垣)


                  (安土城天守跡から西方を望む)

 上ってきた大手道を立派な石垣や曲輪跡を眺めながらゆっくり引き返す。石段の数か所には地蔵の彫った石が見られるが、色々な石材をかき集めてきた結果と思われる。大手門跡を経て正面に観音寺山を見て安土文芸の郷へ向かう。考古博物館などのある文芸の郷を素通りして観音寺山西麓のサイクリングロードを少し南下すると桑実寺集落だ。集落を抜けると650段の石段が始まる。美しく整えられた自然石の石段を一歩一歩踏みしめて上り、山門を経て沿道の赤色の点在する緑の木々を愛でながら上ると休憩ベンチもある可愛い四角形の地蔵堂だ。ここで一息入れて美しい石垣の道を頑張り、チャノキの花咲く一軒家を過ぎると桑実寺だ。養蚕発祥の地として養蚕農家や絹織物産地からの参拝者が多いそうだ。庭園のベンチで紅葉を眺めながらのカップラーメンとコーヒーは最高だ。元気を回復して、経堂の横から登り始める。道は一転して崩れかけた自然石の石段となり、谷間に沿って雑木林の道を登る。やがて海抜400mで稜線に乗り、少し先の平地が観音寺城本丸跡だ。三の丸への下り石段を正面に見て左折し、少し下って三角点の表示に従って左へ登り、しばらく進むと繖山三角点だ。雑木に囲まれて視界はなく、三角点付近から直進が北腰越、右が地獄越へ通じているが、観音正寺へ引き返す。道標通りに進むと石垣の下を通る道となり、観音正寺の境内に飛び出す。

     (安土城天守跡)        (長い石段を下る)       (安土城跡正面入り口)


 (田園地帯を安土文芸の郷へ) (安土文芸の郷を通り抜ける)    (桑実寺へ向かう)

   (650段の石段の始まり)      (桑実寺山門)        (途中の地蔵堂で一休み)

  (白鳳時代創建の桑実寺)(昼食後観音寺城へ登り始める)(崩れかけた石段を上り続ける)


    (観音寺城跡)           (繖山登り口)        (道端に咲くチャノキの花)

     (繖山三角点)         (観音正寺下の石垣)     (観音正寺本堂へ向かう)

 ここ迄安全に巡拝できたことを感謝して本堂を後にし、近江平野に点在する湖東の独立した山々を眺めてから1200段にも及ぶ赤坂道を下り始める。標高差約200mの石段下りはさすがにきつく、衝撃を抑えてゆっくりをモットーに下り、日吉神社を経て観音正寺赤坂道入口の大石灯篭到着だ。ここから安土駅までおよそ4`、疲れた足で1時間余の歩きだ。しばらく眩しい西日に向かって、観音寺山の南麓を回り込むように進む。南腰越の子安地蔵から安土街道に入り、全国の佐々木さん集合で知られた沙沙貴神社を過ぎると安土城天守をイメージした六角の塔が目立つJR安土駅だ。六角の塔をホームから眺めるうちに下り電車が来て順調に帰阪した。
 「火天の城」の築城の様子を頭に入れたうえで現実の安土城跡を訪れると実感が迫ってくる。例えば本丸の穴太積みの緻密な石垣、礎石上にそびえていたであろう燦然と輝く5層七重の天守閣、など再度読み返すと理解度抜群だ。このコースは石段歩きのこたえる周回路だがゆっくり歩くと何とかなるものだ。安土城跡はじめ観音寺山の城跡や古寺など丁度紅葉時期でもあり、素晴らしい歴史散歩の一日だった。

 (観音正寺から西南の展望)     (観音正寺本堂)      (赤坂道の1200段の石段)

                    (観音正寺から東南の展望)
   

   (まだまだ続く石段)     (石段が終わると日吉神社)     (観音正寺石灯篭)

  (観音寺山南山麓を西へ)    (南腰越の子安地蔵)     (南腰越から安土街道へ)

      (沙沙貴神社)          (JR安土駅到着)    (天守をイメージした八角の塔)

★道で出会った花

      サザンカ                ツワブキ              ?

       ガガイモ?               カタバミ          コセンダングサ

       ヒメジョオン            サザンカ八重         ムラサキサギゴケ

        チャクキ              ミヤマシキミ          シュウメイギク

★ルート断面図

★地  図

 (備考)この地図および断面図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第90号)


(参考地図)
・2万5千分の1地形図  八日市

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