帰りは5合目から行者道を通って下山した。元谷堰堤からは眼前に立ちはだかる北壁が雄大で、沢筋上部から絶え間なく落石の音が響いていた。大堰堤から本当は沢沿いに下るのだが間違って林道を下った。途中、大山寺の表示に従って下ると大神山神社参道にでる。この参道は日本一長い自然石の参道だそうだ。さらに下ると大山寺山門の横にでる。駐車場はもうすぐだ。
きょうの大山登山は山開き(6月6日)前にもかかわらず、小5から高1までの100〜200人位の少なくとも5組の団体登山に出会った。皆、健康そうな顔をして元気に挨拶をかわしたのが気持ち良かった。大山は遠くから眺めるときの優美な山容、近くで見る崩壊が止まらない岩壁の荒々しさ、頂上付近のなだらかなダイセンキャラボク群落、などさすがに中国地方第一の名山であることを実感した。快晴の山歩きに満足し、明日の蒜山登山に備えて真賀温泉に向かった。
志賀直哉「暗夜行路」に大山の夜明けを描写した記述がある・・・・・・(以下に再録する)
不図、目を開いた時には何時か、四辺は青味勝ちの夜明けになっていた。星はまだ姿を隠さず、数だけが少なくなっていた。空が柔らかい青味を帯びていた。それを彼は慈愛を含んだ色だと云う風に感じた。山裾の霞は晴れ、麓の村々の電灯が、まばらに眺められた。米子の灯も見え、遠く夜見ヶ浜の突先にある境港の灯も見えた。或る時間を置いて、時々強く光るのは美保の関の灯台に違いなかった。湖のような中の海はこの山の陰になっているため未だ暗かったが、外海の方はもう海面に鼠色の光を持っていた。
明け方の風物の変化は非常に早かった。しばらくして、彼が振り返ってみた時には山頂の彼方から湧き上がるように橙色の曙光が昇って来た。それが見る見る濃くなり、やがて又褪せはじめると、四辺は急に明るくなって来た。萱は平地のものに較べ、短く、その所々に大きな山独活(やまうど)が立っていた。彼方にも此方にも、花をつけた山独活が一本ずつ、遠くの方まで所々に立っているのが見えた。その他、女郎花(おみなえし)、吾亦紅(われもこう)、菅草(かんぞう)、松虫草なども萱に混じって咲いていた。小鳥が啼きながら、投げた石のように弧を描いてその上を飛んで、又萱の中に潜り込んだ。
中の海の彼方から海へ突き出した連山の頂きが色づくと、美保の関の白い灯台も陽を受け、はっきりと浮かび出した。間もなく、中の海の大根島にも陽が当たり、それが赤鱓を伏せたように平たく、大きく見えた。村々の電灯は消え、その代わりに白い烟が所々に見え始めた。然し麓の村は未だ山の陰で、遠い所より却って暗く、沈んでいた。謙作は不図、今見ている景色に、自分のいるこの大山がはっきりと影を映していることに気がついた。影の輪郭が中の海から陸に上がって来ると、米子の町が急に明るく見えだしたので初めて気付いたが、それは停止することなく、ちょうど地引網のように手繰られて来た。地を嘗めて過ぎる雲の影にも似ていた。中国一の高山で、輪郭に張切った強い線を持つこの山の影を、その儘、平地に眺められるのを稀有の事とし、それから謙作は或る感動を受けた。
★ルート断面図