昨年8月に帯状疱疹を発症以来、後遺症の神経痛に苦しみながら5カ月経ってようやくほぼ正常に復帰だ。まだ発症部の左足取付部にしびれが残っているが、廃用委縮がおこらないように、歩き慣れた近場の山歩きだ。ほぼ快癒のお礼参りを兼ねて本山寺に初詣、ポンポン山を経て本山寺参拝者駐車場から尾根道を周回の計画だ。車で神峰山寺山門前を通って1車線の尾根道を北上するが、途中、2018年21号台風の川久保側の斜面の倒木群を始末するため林道を掘削中だ。川久保渓谷付近の倒木処理のため、林道やポンポン山の主要登山道以外の枝道の通行止がしばらく続くようだ。林道を北上すると駐車料金精算機(12時間500円)が新設された本山寺参拝者駐車場だ。
一番乗りの駐車場を後にして、東海自然歩道のコンクリの車道を北上し、すぐに並行している山道に入る。ふかふかの落葉絨毯の坂道を登り、交互に現れる杉林や落葉樹を見ながら、すぐに息切れするのでしばしば歩みを止めつつ頑張ると自然歩道の車道に飛び出す。本山寺古道を合わせて車道をなだらかに進むと本山寺の勧請掛け黒門だ。ここでポンポン山直進路を右に分け、中の門をくぐって石垣下を進むと長い石段だ。誰もいない静かな本堂にて、帯状疱疹のほぼ全快に感謝するとともに初詣のお参りだ。本堂横からなだらかな道を進み、最後に急坂を登ると自然歩道の尾根道出合だ。整備された歩き易い通いなれた尾根道をしばらく進むと数本のモミの木の大木が茂るピークだ。5年前の台風による倒木が谷筋を埋め、スカスカのピークに孤立しているのが天狗杉だ。天狗杉の祠を後にして、アップダウンしながら徐々に高度を上げ、倒木の残っている所もあるが歩くのに支障のない尾根道を北上するとポンポン山頂上広場だ。
(本山寺Pを出発) (自然歩道に並行する山道へ)
(落葉絨毯の山道をたどる)
(本山寺古道合流点で車道合流) (勧請掛けを掛けた山門)
(本山寺中の門)
(本堂へ長い石段を上る) (帯状疱疹快癒のお礼参り) (本山寺本堂右から山頂へ)
(樹林帯を尾根道へ)
(尾根道に合流)
(木漏れ日の尾根道を行く)
(モミの大木林を行く)
(天狗杉(夫婦杉)) (爽やかな樹林帯を行く)
(道端に残る倒木帯)
(山頂直下の樹林帯を登る) (ポンポン山山頂広場)
青空ののぞく曇り空ながら、風花の舞う肌寒い風を浴びつつ霞んだ愛宕山や京都市街を久しぶりに眺める。雲間から伸びる一条の太陽光に輝く樟葉あたりの淀川を見ながら山頂を後にして尾根道を東に向かう。最短路の水声の道は倒木処理で通行止、無理することもないので川久保尾根経由で周回することにして自然歩道を東進だ。上空の強風で唸っている高圧線大鉄塔下の杉谷分岐を右へ向かう。木漏れ日を浴びて倒木の片づいた稜線をしばらく進むとブラインドの釈迦岳三角点だ。ピークから少し尾根道を下ると善峰寺分岐だが、直進の大杉は倒木処理通行止だが、帰るには直進しかないので、注意しながら強行突破することにする。分岐からしばらく下ると大杉の四差路だ。直進の川久保尾根は倒木処理の通行止だが、きょうは工事をしてないようなので川久保尾根へ向かう。2本の鉄塔を過ぎてP620のモミの大木林を過ぎると、一面の切り株だらけの展望尾根だ。
(山頂から愛宕山を望む) (山頂から京都市街を望む) (山頂から自然歩道を東へ)
(水声の道は通行止め)
(杉谷分岐を右へ) (分岐点の赤い大鉄塔)
(稜線を釈迦岳へ)
(釈迦岳三角点) (善峰寺分岐を大杉へ)
(大杉四差路)
(大杉から川久保尾根を南下) (鉄塔を2本通過)
(展望尾根から東方を望む)
折からの北西風に乗って雪のちらつく中、東方の霞んだ京都市街地南部から金剛山まで望めた。長岡京の街並みや天王山などを眼下に、冬定番の熱いカップラーメンとコーヒーは抜群だ。昼食後、倒木処理の新しい林道があっちこちに掘削され、見晴しだけは抜群の荒涼とした尾根を南下する。新林道が出来ているのでGPS首っ引きで稜線を間違わないように進み、丸太ベンチを経て樹林帯に入り、明確になった尾根道を道なりに下る。川久保の道標に従って谷筋を下り、堰堤を越えると民家の隣から林道に降り立つ。川久保渓谷に沿って林道を上流へ辿り、林道分岐を左折してしばらく遡ると本山寺参拝者Pだ。
時々日のさす曇りがちの肌寒い天気だったが、休み休み体をいたわりながら久しぶりの冬の里山を楽しむことができた。何とか半年ぶりの山歩き完歩に感謝だ。最後にこの山行記を半年ぶりに作成して感じたことは頭の廃用委縮だ。長年使ってきた画像処理などの各種便利アプリの使用手順やちょっとしたインプットの際のコツを思い出せなかったことだ。なんとか記憶を引っ張り出して山行記を作成したが、「使わないものは衰える」ことを痛感した。
(切り株だらけの展望尾根)
(尾根道を南下) (新設林道を行く)
(丸太ベンチ)
(林道分岐点から尾根道を下る) (樹林帯を下る)
(倒木の残る尾根を下る)
(稜線別れを右へ) (堰堤の谷筋を下る)
(民家の横から林道へ)
(林道出合の石碑) (川久保渓谷沿いに上流へ)
(林道分岐を左へ)
(山肌倒木跡の植林) (本山寺Pへ帰着)
★道で出会った花(花はなし)
★ルート断面図
★地 図
(備考)この地図および断面図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第90号)
(参考地図)
・山と高原地図 北摂・京都西山
・2万5千分の1地形図 法貴、京都西南部、高槻、淀
(帯状疱疹 奮戦記)
★発端(7月下旬〜8月末)
2022年になって低山の山歩きでも、すぐに息があがり、その時は年のなせる業と諦めつつ、だましだまし近場の山歩きを続けてきました。夏場になって7月の大和葛城山、8月の大台ケ原あたりから異常に疲れやすく、年齢のせいとともに暑さのせいと諦めていたが、後から考えると帯状疱疹の前触れのようです。帯状疱疹は、過労やストレスで免疫力が低下すると、神経節などに潜んでいた子供の時の水疱瘡ウイルスが再活性化して発症するそうです。
★発症(8/27〜8/31)
左足付け根が痛みだしたが、いままで病とは無縁であったため軽く考えて、痛さを我慢しながらいつもの1時間コースの朝散歩をする。しかし夕方から左股関節取付部の痛みが激しくなり未明から眠れず。翌日休診日とあって3日間痛みを我慢し、勝手に関節炎と自己診断して整形外科クリニックで診断を受けるが、原因不明で痛み止めのみ処方される。発症4日目に患部に発疹が現れ、左足取り付け部がヒリヒリ、ズキズキ痛む疼痛感で眠れない。頻尿を伴う排尿障害もでて、整形外科クリニックでやっと左足鼠径部帯状疱疹の診断を受け、高槻赤十字病院に即入院です。
★入院(9/1〜9/10)
左足取付部から足首にかけて左足側面の神経系に沿って発疹部が広がり、自然排尿ができない状態なので膀胱留置カテーテル(持続的導尿)を挿入する。ウイルス感染症治療薬(アシクロビル静注液)3回/日点滴、便通を期待してマグミット錠の服用を始める。患部にはアズノール軟膏を塗布する。左臀部のヒリヒリした痛みや患部の深い所から来る激しい鈍痛などで眠り難く、臀部の接触感覚が麻痺しているため大便時の始末が大変です。導尿カテーテルが常時挿入されていて小便は勝手に携帯タンクに貯まるので久しぶりに安眠できた。なお、重症化して感染リスクがあるため個室に入院です。
入院5日目位から、激しい痛みが収まってきたので、タリージェ錠(神経伝達物質の放出を抑制する鎮痛剤)を中止しプレガバリンOD錠(神経障害性疼痛対応薬)に変える。また、カテーテル挿入部付近に炎症が発生し、膀胱炎にもつながるので抜管し自己導尿カテーテル(間欠的導尿)に変えてすっきりする。やはりカテーテルを挿入したままの状態は気分的にも最悪です。ただし、自己導尿は尿意を催す毎に看護師さんに導尿してもらう必要があるので気を遣います。
退院2日前には、先生指導のもと自己導尿をやってみる。意外にスムースに自己導尿ができるようになりほっとするが、将来、自然排尿に移行できるかどうかの不安感で一杯です。
帯状疱疹そのものの治療が一応終了し、後遺症の神経痛や泌尿器関連については、専門のクリニックで面倒を見てもらいながら在宅で治療を続行することで退院です。
★自宅療養(22年9月〜23年1月)
9月:痛み止めを増量したが、座るのに苦労するような患部の痛みや、睡眠不足になるような尻から足にかけて鈍痛感は不変です。退院2日目に自然排尿に成功し、以降、夜間も数回の頻尿があるが、排尿の勢いも弱いながら自己導尿に戻ることはなかった。便秘は相変わらず、時々イチジク浣腸のお世話になりました。
10月:痛さは不変だが、患部が左足全体から左足取付部や臀部にまとまってきた感じです。体調がややしっかりし、排尿は罹病前の状態に近づいてきたが便秘は相変わらずです。
11月:患部が左臀部にまとまるが、しびれは残り、押さえると痛い。右足踵が痛くなり正常歩行が困難になり、整形外科クリニックで点滴、リハビリ治療を毎週受ける。便秘は相変わらずです。11月後半から朝散歩を、距離や歩行速度を制限して再開する。
12月:夜間排尿や日当たり排尿回数、排尿の勢いは低いながらほぼ正常水準に回復、退院時からお世話になった泌尿器科クリニックを12/17卒業です。患部のしびれは残り、便座に座ると左座面が触れてない感じです。右踵痛は改善し、短い距離では正常歩行可能だが整形外科クリニックでの点滴とリハビリ治療は継続です。便秘は変わらず。毎日4kmの朝散歩再開です。
23年1月:ほぼ全快につき高槻赤十字病院の退院後検診は終了したが、患部のしびれがまだ残っているため、整形外科クリニックでの神経痛治療は継続です。
★蛇足
帯状疱疹とヘルペスは違います。ヘルペスは単純ヘルペスウイルスが原因で、全身どこにでもできる水ぶくれです。帯状疱疹は水痘帯状疱疹ウイルスが原因で、身体の片側にできる帯状の水ぶくれです。加齢、ストレス、疲労などにより免疫力が落ちた時に発症します。ヘルペスは接触感染ですが帯状疱疹は空気感染でもうつる感染症です。再発のしやすさはヘルペスがほぼ確実に再発するのに対して、帯状疱疹は4%程度です。後遺症はヘルペスがないに対して、帯状疱疹は神経痛が数ヵ月から数年に及ぶことがあります。(ネットの”MEDLEY”から)
帯状疱疹は「痛い痛い病気」がその第一印象です。子供のときに感染した水疱瘡のウイルスが原因で、水疱瘡が治った後でも神経節に潜伏して過労やストレスなどで免疫力が低下するとウイルスが再び活性化して発症します。発症すると皮膚の症状だけでなく神経系にも炎症を引き起こし痛みが現れます。神経の損傷がひどいと皮膚の症状が終わった後でも痛みが続きます。炎症が神経に移行すると、患部にまつわる神経系全部に影響が及びます。私の場合、震源地の臀部を中心に、激しい疼痛は無論、排尿障害や便秘などを引き起こし、罹病開始から、まあまあの生活に戻るのに4ヵ月かかり、ほぼ正常な状態に戻るのに半年位かかりましたが、神経痛の最高の治療薬は「時間」です。私は発症から入院まで約1週間もかかったため症状が悪化してしまったが、早期に対処すれば後遺症ももっと軽い症状で終わった可能性があります。自分が発症したせいかもしれませんが、最近帯状疱疹にかかったという人の話をよく聞きます。昨年5月頃にかかったという演出家の鴻上尚史さんも痛さを我慢して後遺症の神経痛に悩まされていることをツイットしてました。要は痛さを我慢することなく、発疹がなくても帯状疱疹を疑って皮膚科のクリニックへ飛び込む心掛けが大切です。そうすれば後遺症なく短期に全快するそうです。
★過去の奮戦記
白内障 2018年3月
肺炎 2012年1月
Homeへ