第27日目(46番浄瑠璃寺、47番八坂寺)

 

★巡拝寺名

46番浄瑠璃寺 47番八坂寺

★ひとこと   「久万高原から三坂峠を下り松山へ」

右側にイブキビャクシンの老木のある46番浄瑠璃寺本堂

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★巡拝日   2005年3月3日(木)  曇後小雨
 
★日記

      名勝 古岩屋          霧の古岩屋          名称不明の木

  高野越え遍路道の丁石  高野越え遍路道のカルスト林  高野越え遍路道の石畳

 
     高野休憩所            菅生集落        菅生集落の苔むした遍路石

  菅生集落下の採石場      菅生の段々畑      仰西(こうざい)のR33合流点

 今にも降り出しそうな霧のなか、かすんだ名勝古岩屋を眺めながら県道12を久万町方向へ歩きます。往路に通った住吉神社の先から右へ入り、千本峠越えで菅生から仰西(こうざい)にてR33へ合流する遍路道をたどりました。古くからの遍路道らしく遍路石が散在し、カルスト地形の石灰石の隙間に杉林が生え、石畳も残っています。千本峠を越えると高野集落にでて、ここから点々と人家が山あいに散在するようになります。段々畑の菅生には大除城の跡もあり、千枚田の様な段々畑が広がる静かな山村風景ですが、残念ながら下方に位置する採石場の騒音がこれらを台無しにしていました。仰西まで下って松山へ向かうR33に合流します。

●大除城の跡
大除城は天文年間(1532〜1554年)に、道後湯築城主の河野氏が、土佐の長曾我部一族の侵入を防ぐためにこの前方の山頂に築いたものです。以後、城主の大野氏は3代にわたり繁栄しましたが天正13年(1585年)に秀吉の命を受けた小早川隆景軍に河野氏が降服し大除城を明け渡したのです。

   三坂峠付近の久万街道     久万街道峠付近    久万街道峠付近から松山方面

   石畳の久万街道         三坂峠方面             網掛け石

 
    46番浄瑠璃寺         浄瑠璃寺大師堂         47番八坂寺

    八坂寺本堂          八坂寺大師堂      納札入れの中の猫(ピンボケ)

 仰西で雨が降り出したのでリュックカバーをしようとしたが持って来てないことに気づき、以後雨の時は菅笠をリュックにかぶせ傘をさして歩くことにしました。途中、明神のゴルフ練習場のコーヒーショップで腹ごしらえをして三坂峠までR33の歩道を歩きます。雨の国道歩きは大型トラックの風圧で傘があおられるので大変です。三坂峠から旧久万街道の遍路道に入ります。所々石畳の残る旧街道をひたすら下り、途中、網掛け石を通って46番浄瑠璃寺に着きます。ここには天然記念物のイブキビャクシンの老木があります。47番八坂寺は、寺裏の住宅街を抜けるとすぐです。八坂寺の大師堂で納札を箱に入れようとすると箱の中から猫が目を光らせてこちらを見ていましたがすぐに丸くなってしまいました。風も入らず納札が断熱材になって暖かいはずです。後でお坊さんに聞くと野良猫が寺に居ついてしまったそうです。これも功徳の一つかなと思いました。
 きょうの失敗は長い下り坂を靴紐を締めなおさずに歩いてしまったので、つま先が靴に当たって足の親指の爪が内出血で黒くなったことです。これ以降は下りは必ず紐を締めなおしてます。なお、残念ながらきょうは歩き遍路の誰とも逢うことがありませんでした。

●久万街道
 この地は明治25年、旧国道(33号)が開通するまで松山と上浮穴郡と高知を結ぶ重要な街道で、生活に欠くことができない道であり多くの旅人が歩んだ道でもあります。そして45番岩屋寺、46番浄瑠璃寺を打ち終えた遍路たちが次の札所へ向かった道でもあるのです。また、高知への最大の難所であり、三坂馬子唄にも「むごいもんぞや久万山馬子はヨー、三坂夜出て夜戻るヨー、ハイハイ」と歌われ、その往復には1昼夜もかかったそうです。

●弘法大師の網掛け石
昔、弘法大師が大きな石を網に入れてオウク(担い棒)で担っていたところ、オウクが折れて山へ飛んでいきました。落ちた所をオオクボ(松山市久谷町大久保)というようになりました。また石の一つは川に落ち、もう一つはこの石であるといわれています。この石は表面に無数の網目がついているところから「網掛け石」といわれています。  

★納経帳
      46番           47番          

★ルート断面図

★地  図