第29日目(54番延命寺、55番南光坊)

 

★巡拝寺名

54番延命寺 55番南光坊

★ひとこと   「松山から風早の海を経て今治へ」

風早の海を行く遍路道



                                       *)ブロードバンド接続の方は写真をクリックして下さい。どの写真も大きくなります。

★巡拝日   2005年3月5日(土)  曇時々晴一時しぐれ
 
★日記

    海岸沿いの遍路道       栗井坂大師堂          蓮福寺大師堂

  恵良山へ向かう遍路道        鎌大師        恵良山の峠から浅海を見る

  菊間町の海岸沿いの道   菊間町の海岸沿いの道         遍照院

 きょうは6時半に出発し、国道に出るまでの新興住宅街で道を間違え少し遠回りしてR196にでました。風早の海沿いの道はJR予讃線と並行している風光明媚な瀬戸内を眺めながら歩ける道です。北条市に入り、栗井坂大師堂、蓮福寺大師堂、北条市街などを過ぎると遍路道は恵良山麓の峠を越えます。峠の手前には鎌大師があります。峠から見下ろす浅海(あさなみ)の展望は一見の価値があります。一面の伊予柑畑の間を下ると浅海の街です。浅海の喫茶店で恒例のモーニングを食べ、ついでに紹介してもらった店で伊予柑をお土産宅配する。店のオバチャンが言うには、「近頃の若い人たちは、食べるのに簡単なバナナや苺などを好み、伊予柑のように手間のかかるものは敬遠気味です」とのことでした。そのせいか収穫されない伊予柑が木の下に沢山落ちているのをしばしば見かけました。菊間の海岸沿いを進み、遍照院を過ぎると巨大な製油所が見えてきます。その隣の国道脇にこじんまりとした青木地蔵がたたずんでます。

●鎌大師
平安の昔、弘法大師四国巡行のみぎり、草を刈りつつ泣く童子を見てわけを聞くと「疫病が流行し姉が死に弟も患っており、一家死滅するのではないかと心配で」と言う。大師はこれを憐れみ童子の持っていた鎌で木片に自分の像を刻み、これに祈願するようにと言い残して立ち去りました。童子がその言葉どおりにすると病人は快癒し、地方の疫病も消滅しました。その仏像を本尊として堂を建て「御自作鎌大師」と言うのが由来です。

   太陽石油菊間製油所        青木地蔵           54番延命寺

   54番延命寺本堂      54番延命寺大師堂      南光坊への道しるべ

     路傍の花             路傍の花            今治市街


   55番南光坊山門        55番南光坊本堂       55番南光坊大師堂

  大西町に入ったところでジャージ姿の女子中学生の2人連れからお接待にアメ玉を頂きました。その笑顔が本当に素晴らしかったです。ここで昼食にうどんを食べ、当初、大西町泊りの予定だったが少し時間が早すぎるので南光坊まで強行軍することにしました。この辺りで約1時間にわたり強い風と共に霰まじりのみぞれが吹きつけ寒さにちじみ上がりました。
 54番延命寺が16時前だったので、今日中に納経すべく急いで55番南光坊へ向かいました。周辺の工事をしている西瀬戸道をくぐり大谷霊園の中を抜けて今治市街にでました。市街に入ると遍路マークを見かけなくなり、人に聞きながら何とか南光坊の納経に間に合いました。
 きょうは歩き遍路と全然出会わず、朝から晩まで殆どしゃべらないで歩くことに専念するのもなかなかしんどい事でした。やっと夕飯で同年輩のひとり歩き遍路の人と同席になり、話題交換ができ、一息つけた格好です。なかなかシャバのくせが抜けないようです。

★納経帳
      54番          55番          

★ルート断面図

★地  図