第38日目(84番屋島寺〜86番志度寺)
★巡拝寺名
84番屋島寺 85番八栗寺 86番志度寺 ★ひとこと 「銀世界の一宮から屋島を経て志度へ」
屋島遍路道から高松市街 84番屋島寺山門 84番屋島寺大師堂
84番屋島寺境内 血の池 屋島からドライブウエー
屋島から五剣山(中央)、志度(右)を望む
宿を出ると畑や家々の屋根が一面の銀世界です。県道172を高松市街方向へ進み高松道をくぐり、御坊川を渡った所で御坊川左岸沿いにどこまでも下流方向へ下ります。御坊川を離れないように並行している道を進み、琴電の三条付近で恒例のモーニングで小休止です。R11へ出ると徳島方向へ行き遍路マークに従って左折し特徴ある形の屋島へ向かって上り始めます。自動車道をそれた屋島寺へ続く立派な遍路道は朝の散歩の人々が多く、葉を落とした広葉樹林帯の木の間から高松市街から五色台まで見えてます。 84番屋島寺は明るい雰囲気です。団体参拝客が多く観光ガイドが境内のタヌキの××××を面白おかしく宣伝していました。下山の遍路道は血の池の傍を通り休業中のホテル甚五郎の前から急坂を下ります。ホテルの前から、壇ノ浦の向こうにそびえ立つ八栗寺の五剣山を望む景観が素晴らしいが採石場の傷跡が痛々しかったです。
●血の池(瑠璃宝の池) 屋島寺伽藍草創のおり弘法大師が「遍照金剛、三密行所、当都卒天、内院管門」と書き、宝珠とともにおさめ周囲を池としました。ところが竜神が奪いに来ると伝えられ瑠璃宝の池の名があります。また、源平合戦のとき壇ノ浦で戦った武士たちが血刀を洗ったため、池の水が赤くなり地の池とも呼ばれるようになりました。 八栗ケーブル乗り場付近 85番八栗寺山門手前 85番八栗寺山門
85番八栗寺本堂 85番八栗寺大師堂 志度の家並み
志度の石灯籠 志度海岸から屋島、五剣山 86番志度寺山門
86番志度寺本堂 86番志度寺大師堂 志度寺の柔和な菩薩
八栗寺へ向かう途中の洲崎寺付近で買い物途中の中年男性から現金のお接待です。ちょっとちゅうちょしていると素直に受け取って下さいと言われてしまいました。昼食に食べた、ケーブル乗り場までにある大きなうどんや山田屋のぶっかけうどんは絶品でした。ケーブル乗り場から上の道は諸車通行止でしたが軽四が追い越して行ったかと思うと途中の急坂でスリップして動かなくなっていました。車から降りてきた運転していたオバチャンからお参りをあきらめるので代参を頼まれ、またまた現金のお接待を受けてしまいました。八栗寺は五剣山の中腹にあり、昔、岩峰群に夫々行場があったが今は崩落の危険性があって登ることができないと、境内におれらたお坊さんの説明でした。伽藍の背後にある、仏様の光背のような覆いかぶさるような岩峰群が圧巻です。 遍路道は車道で牟礼町へと下り、志度へは家並みをはさんで琴電志度線と並行している旧道を進みます。志度は市町村合併で「さぬき市」となり海岸沿いに立派な市役所が新設されています。海岸べりからは歩いてきた屋島や五剣山を裏側から見ることができます。志度には平賀源内旧邸や大きな石灯籠などが残っています。 次の宿の関係で余裕を持って志度に着き、料理が美味しかったので酒2合も飲んでしまった。
●用心掘と石灯籠 高松藩松平家が領内の百姓から取り立てる年貢米を収納するため藩内各所に米蔵を建てました。その一つがここにあって面積5.5ヘクタールの敷地に蔵が三棟、年貢米検査所、藩役人や蔵番の部屋があり、志度のお蔵と呼ばれ毎年秋に1万5千俵の米が収納され非常に賑わった。志度町新町平賀家は、初代良盛が明暦3年(1654年)8月、お蔵番を命ぜられて以来、世襲してきた。この石灯籠は嘉永4年(1851年)庄屋上野、岡田両氏がお蔵の用心のために建てたものである。
★納経帳 84番 85番 86番
★ルート断面図
★地 図