第39日目(87番長尾寺〜86番大窪寺)

 

★巡拝寺名

87番長尾寺 88番大窪寺

★ひとこと   「志度から女体山越えで結願」

女体山頂上の祠

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★巡拝日   2005年3月15日(火)  曇一時晴
 
★日記

    87番長尾寺山門    87番長尾寺本堂と大師堂      前山ダム

  前山お遍路交流サロン     ダム上流渡渉地点    遍路大使任命書とバッジ

  水害で汚れた6地蔵      流された遍路道          山間の遍路道

      太郎兵衛館         女体山登り口          女体山遍路道

 志度の旧市街を抜け長尾街道(県道3)を進む。オレンジタウンの辺りで本日唯一の歩き遍路と逢い挨拶をかわす。逆打ちでなれた方らしい。長尾寺は街中にあり同行2人誌にはないが長尾寺前に数軒の遍路宿がありました。これから街もなくなるので恒例のモーニングで一服してから県道を進むが、歩道区分もなく道幅が狭いのに大型車が比較的よく通るので歩き難い道です。前山ダム堰堤を渡る遍路道を行こうとしたが、工事のダンプの運転手からダム右岸道路が崩壊しているため左岸道路を通るようにと言われ、お蔭で「道の駅ながお」の前にある前山お遍路交流サロンに寄ることができました。ここで歩き遍路結願を祝してお遍路親善大使任命書とバッジを頂きました。少し左岸を進んだだけでダムの上流に砂防堰堤が現れ流れの幅が1メートル位になったので河原に下りて右岸に渡り、通行止の右岸道路の崩壊地点の先に渡ることができました。しかし、少し上流には立派な橋があって容易に左岸から右岸に渡ることができ、あわて者の見本になってしまいました。
 来栖谷沿いを登る遍路道は昨秋の台風で大きく破壊されており、応急に人のみ何とか通れるようになっています。このような山奥にも人家があり畑が耕されているのは驚きです。遍路道が登山道になった所で丁度12時になったので、宿のお接待の弁当とドリンク剤で元気を回復しました。丸太階段の上り下りを繰り返しながらだんだん高度を上げていき、林道との交差地点が太郎兵衛館です。ここから少し林道を進んでから急な山道に入ります。女体山の最後の登りは両手で岩を掴みながらの急登となり、最後に見晴らし台のような岩頭に着きます。ここが祠のある女体山頂上で、霞んでいるが屋島から高松市街まで見渡せました。

●太郎兵衛の話
このあたりの地名を太郎兵衛と言い流れる川の名を太郎兵衛川と呼びます。今も山猿の姿をよく見かけますが、その昔、山里を荒らす猿を退治して村人の難儀を救った豪の者がいて、その猟師の名を太郎兵衛と呼んだと言います。また一説には、太郎兵衛とは修験者とも言われ、大窪の峰から矢筈、女体、ヒヨザコを越えれば三重の滝と、山野を歩き、滝に打たれて、難行の末、偉大な霊験を得た行者の名を太郎兵衛と言い伝えています。

  女体山遍路道のガレ場     女体山頂上の岩頭       女体山下山路

    立派な遍路道          88番奥の院            矢筈山

     女体山の岩場     大窪寺に近い遍路道階段    88番大窪寺山門

  岩峰の裾に建つ大窪寺    88番大窪寺大師堂      88番大窪寺本堂

 山頂から右の道を下ったため、林道へ下りた所に大窪寺の表示がなくどちらに行ってよいのか判らなかった。道路を横切り矢筈山の表示に従って急坂を登り矢筈山山頂まで行ってみたが、それ以上は道があやしくなってきたので林道まで引き返しました。林道を上り方向へ進むと女体山山頂からの道と大窪寺への下り道が交差していました。後で考えると女体山山頂からの下りが2方向有り誤った方へ下りたのが悪かったようです。あとは順調に下り。奥の院へも立ち寄ってから88番大窪寺へおり立ちました。不真面目遍路のせいか、2年かかっての結願ですがあまり大きな感動はありませんでした。
 宿の夕食時、京都の歩き遍路の熟年男性と同席となり、僕と大体同じペースで大洲から区切の2回目を終了し、1番には戻らず志度からバスで帰京するそうです。また、隣席の歩き遍路の中年女性は一日に40〜50キロ歩いた通し打ちの結願で、あす5番経由で1番へ戻るそうです。体力や考え方により自分なりの遍路を行うのがよいと思います。その中でも歩き遍路は一番贅沢な遍路だと思いました。

★納経帳

     87番             88番 

★ルート断面図

★地  図