頂山(397.8m)


★ひとこと   「中学校跡から頂山とハカリカケ岩経由紺碧のオハイブルーへ」

オハイブルー

★行った日   2021年10月23日(土)  晴一時曇   単独
 
★コース

高槻3:44(名神、近畿道、南阪奈道、京奈和道)=御所南IC(R309、R169、R309、R42、R311)=7:17九鬼中学校跡P7:28→立入禁止表示7:50→8:27稜線出合8:32→林道出合8:36→9:12(397.8m)頂山9:20→9:40(368m)ハカリカケ岩9:48→オハイ分岐10:46→10:58オハイ(昼食)11:26→オハイ分岐11:44→展望地12:13→トノ浜分岐12:23→ベンチ12:25→アババ分岐12:34→12:53九鬼中学校跡P13:06(R311、R42、県道603、県道53、R422、R166、R369)=針IC(西名阪、近畿道、名神)=高槻17:50

 一週間前からぐっと秋らしくなり、きょう23日は一時的に冬型気圧配置となり、関西は木枯らし一号だ。近畿南部は快晴が予想され、九鬼のオハイブルーの鮮やかさがネットで話題になっているので九鬼訪問だ。九鬼中学校跡を起点に頂山とハカリカケ岩を経てオハイ(大配)の海へ周回の計画だ。十六夜の月が中天に輝く早朝出発、朝早くから比較的交通量の多いR169を南下、その殆んどは大台ケ原だ。新伯母峯トンネルを抜けると俄然走りやすくなり、ボート遊び準備中の車列を横目に池原ダム湖畔を快走、R309を経て熊野街道で矢ノ川トンネルを過ぎ、尾鷲手前からR311のトンネルを抜けると九鬼だ。紀伊半島南部の山歩きによく通った懐かしいドライブで、早朝のため高槻から約3時間半で九鬼到着だ。
 廃校となった九鬼中学校前の空地に一番乗りで駐車、登り口を探して少しうろうろしたが、登山口は砂防ダム工事中だ。工事がまだ始まってないので作業道を上り、堰堤予定地点から切り開かれた小尾根に上る。林間に踏み跡があり、ミツバチの巣箱を足元に見ながら倒壊しかけた小屋横を過ぎると、谷筋に「立入禁止」表示のある本来の登山道に合流だ。岩塊原に植林されたような山肌を見ながら丸石がゴロゴロした道を登り、猪垣(ししがき)を板橋で渡ってしばらく左下の猪垣沿いに進む。近くの亥谷山でも里に害獣が入らないように高さ1m幅30pの石積みの猪垣が設けられていたが、ここでも各所に残っている。花崗岩の山らしく、大石の散在する歩き難い坂道をしばらく登ると稜線出合だ。地形図の点線を直進するとP237下を経て1号魚見小屋のはずだが、右へ尾根を少し登ると林道出合だ。右へ行くとすぐに林道終点だが、その手前から樹林帯に入り、苔むした丸石の道を少し登ると頂山へ向かうA、Bコース分岐だ。Aコースをとり、大石の散在する急坂を休み休み息を整えながら登ると、山頂西の端だ。大石の連なった照葉樹林帯を少し東へ行くと林間の頂山三角点だ。山頂からピンクリボンにつられて南へ少し下るハプニングもあったが、古田へ向かう道と分かれてしばらく東進してちょっと登り返すとハカリカケ岩だ。この辺りは尾根が複雑に入り込んでいるので、安易にリボンなどを追わずにGPSなどで現在位置を確認することが必要だ。

  (九鬼中学校跡前に駐車)   (砂防ダム工事中の登山口)  (休止中に工事現場を登る)

 (立入禁止表示で登山道合流)    (岩塊の沢筋を登る)      (猪垣を越えて進む)

   (大石の多い道を登る)    (稜線出合から稜線を登る)     (林道出合を右へ)

   (林道終点から左山道へ)     (A、Bコース分岐)       (大石の急坂を頑張る)

  (照葉樹林帯を頂山頂へ)      (林間の頂山三角点)       (ハカリカケ岩)


 ハカリカケ岩の岩頭から紺碧の熊野灘が眼前に広がり、正面に三角錐のP228、その右に丸いP305が逆光に黒々とした姿を見せている。岩頭手前には割れ目のある大岩が屹立し、この辺りは花崗岩のオンパレードだ。岩頭でしばらく輝く海に思いをはせてから戻り始める。先程の分岐から古田へ、放置された共聴アンテナの残骸のある照葉樹の尾根道をなだらかに下る。樹間から青い熊野灘をチラチラ垣間見ながら照葉樹林尾根を下り、P305西の鞍部から照葉樹の点在する杉林の谷筋を下る。丸い大石の目立つ谷筋をしばらく下ると古田キャンプ場の平地だ。樹林に囲まれた小広場だ。谷筋を東北に行けば2号魚見小屋だが、これを省略して南下、丸い石の分岐からオハイへ向かう。谷に沿って照葉樹林帯の岩塊の急坂を下ると急に眼前が開け、岩盤が海浜に広がるオハイ(大配)だ。岩壁に打ち寄せる白波や太陽光線の具合で緑がかったブルーの色彩が何とも言えない。ちりめん皺を乗せた大きなうねりがとこまでも続く大海原が広大だ。木陰の岩盤に陣取って、陽光に白く輝く熊野灘を眺めながら早い定番昼食、何を食べても最高だ。ゆっくりオハイブルーを楽しんでから下山開始だ。

                  (ハカリカケ岩から熊野灘を望む)

 (照葉樹林尾根を古田へ)    (大石を絞め殺すつもり?)     (古田キャンプ場)

(オハイ(大配)へなだらかに下る)     (オハイ分岐)      (岩塊ゴロゴロの急坂を下る)

   (オハイで視界が開ける)    (岩壁から吸い込まれそう)  (緑がかったオハイブルー)

                (人工物のない岩盤のみのオハイ全景)


 岩盤の隙間に咲き残るツワブキを横目にオハイを後にしてしんどい急坂を頑張り、往路の丸い石の分岐から九鬼の集落へ戻る。意外に険しい、大きな花崗岩や照葉樹の点在する急な山肌をへつるように階段道が続く。地形図では断崖の海岸が続いているので山中に道がつけられているようだ。オハイ以来唯一海の望める展望所を過ぎると落ち着いた林間の道となる。トノ浜へ下る分岐を過ぎ、猪垣を越える板橋を渡ると休憩ベンチのある小広場だ。この辺りから石垣が目立ち、林間にベンチカットのような数段の石垣の積んだ地形もあり、いまは放棄された畑?のようだ。アババ(網干場)分岐を過ぎてしばらく進むとやっと畑地帯だ。奇麗に積まれた石垣に沿って遊歩道を進むと集落の一角に下る。人がようようすれ違える程度の曲がりくねった路地を適当に進むと九木漁港に突き当たる。集落はかなり立派な家が多く、しっかりした地域社会を構成しているようだ。思うに、ここは毛利方の村上水軍と双璧をなす織田方の九鬼水軍発祥の地だ。江戸時代には千石船の寄港地として栄え、陸の孤島であっても文化交流の盛んな所だ。そのためかなかなか風格のある地だ。漁港に沿って透明度の高い海面を見おろしながら中学校を目印に進むと駐車場だ。帰りは大昔の仙千代ヶ峰大失敗のあとを通るつもりだ。尾鷲からR42を伊勢方面へ進み、海山町から県道大杉谷海山線で水呑峠を経て宮川ダムへ向かう。この道は2004年9月の21号台風による豪雨で不通となり2017年12月に開通した。時間開通の表示はあったが、対向車のまったくない落ち葉の堆積した1車線の舗装路を、通り抜けられるか不安を抱えてくねくね進む。水呑トンネルから菅ノ峠間の当時の地滑り跡は跡形もなかった。2005年に仙千代ヶ峰から水呑峠へ下山の際にトンネル西口に降りるつもりが東口の擁壁の梯子から降りたため、県道の左右が逆になり、大台へ向かうつもりが海山へ下ってしまった。おまけに地滑り帯を越えるため数か所の谷底を迂回し、2時間半後にやっと反対に下っていることが分かった。後戻りは不可能、たまたま通りかかった中電の車に便乗してことなきを得たのだ。これがぼくの道迷いの原点、その後当時高価なGPSをゲット、タイプは変われど愛用している。宮川ダムの懐かしい赤橋展望地で正面の江股ノ頭や大杉国見山を思い出しながらしばし休憩だ。あとはいつものコースで飯高から針へ出て西名阪で5時間近くかかって帰り着いた。
 海辺の山歩きでは、熊野灘に面した姫越山局ヶ頂、若狭湾に面した久須夜ヶ岳を訪れたが、人工物のない自然美と断崖の美しさはオハイが一番だ。歴史的な九鬼の集落、照葉樹の発達した花崗岩の頂山、オハイオの海岸美など優れものだ。オハイ以降は一本道だが頂山周辺は分岐も多くリボンもあちこちについているので要注意だ。きょうは往復8時間のドライブで5時間半の山歩きだ。目的と手段が逆転したようだが、懐かしい奈良・三重南部のドライブが本命だったかもしれない。

 (岩盤の隙間に咲くツワブキ)      (元の分岐へ戻る)  (上り下りの多い照葉樹林の道)

  (展望地から望む熊野灘)      (猪垣を越えて進む)      (広い平地の休憩地)

  (ベンチカットのような石垣)    (アババ(網干場)分岐)      (やっと里へ下る)

  (山裾の遊歩道を進む)         (細い路地へ)       (迷路のような路地を行く)

  (久木漁港沿いに進む)    (九鬼中学校めざして戻る)   (宮川ダムの懐かしい赤橋)

★道で出会った花(オハイのツワブキ以外なし)

★ルート断面図


★地  図

(備考)この地図および断面図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図25000(地図画像)及び数値地図50mメッシュ(標高)を使用したものである。(承認番号 平18総使、第90号)

(参考地図)
・2万5千分の1地形図  九鬼

Homeへ